雪山の邂逅
突然、道の先に人影が見えた。白いロングコートをまとった少女が、雪の上に深々と平伏している。長い茶髪が雪に埋もれ、全身に白い雪が厚く積もっていた。長時間ここで待ち続けていたことは明らかで、少女の小さな肩が寒さでわずかに震えていた。清美は足を止め、穏やかな視線をその姿に向けた。
「はて、どちらさんね? こがん雪の山の中で、頭ば下げて……」
ロングコートの少女は顔を上げず、平伏したまま必死の声を絞り出した。まだあどけなさの残る、十四歳の少女らしい声だったが、そこには揺るぎない決意が込められていた。
「加藤清美様とお見受けしました! 手前、先日『八十女』を立ち上げた松浦令子と申す者。清美様に一手ご教授願いたく、参じました!」
清美は苦笑を浮かべた。雪の冷たさが頰を刺す中、彼女はゆっくりと首を振った。暴力の無意味さを誰よりも理解するこの女性にとって、無益な戦いは望むところではなかった。
「いや、人違いです。うちはそのようなもんじゃなか。さ、こがんところに追ったら風邪ばひきますけん、うちの師匠のとこさお連れしましょう」
そう言いながら、清美は少女の横を通り過ぎようとした。巨体が雪を蹴立て、道を進もうとする。だが、その瞬間、少女の声が再び響いた。顔を雪に擦りつけるようにして、令子は叫んだ。
「いいえ! あなたは清美様に相違ありません! 何卒、何卒御一手!」
清美は足を止め、静かにため息をついた。雪の積もる山道で、風が二人の間に冷たい壁を築くようだった。彼女の長い黒髪が風に舞い、荒々しいシルエットがより一層強調される。
「何度言われても、うちは加藤清美とかいうチンピラじゃなかし、逢うたこともなか。それにうちは修行中の身、私闘は禁じられとるとです」
そう言い残し、清美は再び雪の山道を歩き始めた。ブーツが雪を深く抉り、足跡を残していく。背後から、少女の叫びが雪を切り裂くように響いた。
「私はあきらめない! 絶対にあきらめないから!!」
清美は振り返らず、ただ静かに雪を踏みしめていった。山道は急な勾配を続け、木々が雪の重みで枝を垂らしている。風が唸りを上げ、雪片が視界を白く染める中、清美の心に微かなざわめきが生まれた。あの少女の声は、ただの子供の戯言とは思えなかった。九州の喧嘩社会で数多の荒くれ者をまとめてきた彼女の勘が、何か特別なものを感じ取っていた。
その後も、松浦令子と加藤清美は何度も雪深い山中で顔を合わせることになった。激しい雪の降りしきる朝、視界を真っ白に染め上げる吹雪の午後、星明かりだけが頼りの凍てつく夜――あらゆる時間帯に、令子は白いロングコートを雪で覆われながら山道の途中に平伏し、食い下がり続けた。長い茶髪が雪に埋もれ、異色の瞳が冷たい輝きを宿す中、十四歳の少女は体を震わせながらも決して退かなかった。
「清美様! どうか一手、ご教授を! 私はあなたから学びたいのです!」
令子の声は幼さを残しつつ、熱い炎のように雪風を貫いた。コートの裾が風に翻り、細い体が雪の上に沈み込む姿は痛々しくも、どこか異様な執念を感じさせた。
清美はいつも穏やかな表情を崩さず、巨体をゆっくりと動かしながら応じた。荒々しく逆立った長い黒髪に雪が積もり、鍛え抜かれた筋肉質の体躯が道着の下で静かに息づいている。
「人違いです。うちはただの修行者じゃ」
その声は優しく、しかし岩のように揺るがなかった。九州訛りの響きが山間に優しく広がり、少女の熱を包み込むようだった。清美は戦いを避け、ただ静かに歩みを進める。だが内心では、この少女の根性に微かな感銘を受け始めていた。孤児院で育ち、弱者を守るために拳を振るってきた彼女にとって、令子の姿はどこか遠い日の自分を思い起こさせるものがあった。
日を重ねるごとに、令子の平伏する時間は長くなり、雪が彼女の小さな肩を白く染め上げた。ある朝は猛吹雪の中で声を枯らし、ある夜は凍える星空の下で歯を食いしばりながら呼びかけた。清美は毎回同じように丁寧に断り、しかし決して無視はしなかった。巨体の影が雪道を進む背中を、令子は這うように追いかける。聴覚と気配だけで清美の位置を捉え、右目の失われた視力を補うかのように集中した姿は、すでに並の少女の域を超えていた。
その合間、清美は師匠の元で極めて厳しい修行に没頭した。並の者が百年を費やしても極められぬ、この山中にひっそりと伝わる伝説の拳法を、彼女はわずか一月という短期間で体得していった。朝から晩まで雪の中での座禅、岩を砕くような打撃の反復、気配だけで相手の動きを読む動躰法の習得――巨体を駆使した清美の成長は目覚ましく、師匠の住む古い庵の周囲で木々が震えるほどの衝撃を繰り返した。荒々しい黒髪を汗で濡らし、朗らかな瞳を鋭く細めて技を磨く姿は、まさに肥後の獅子そのものだった。
そして、すべての修行を終えた朝が訪れた。雪が穏やかに舞う薄明かりの中、清美は師匠に呼び出された。庵の簡素な部屋で、老いた師匠は静かに座り、彼女を見つめた。
「清美、なんとも恐ろしい娘よ。並の者なら百年かけても体得できぬ我が拳を、ものの一月で極めるとは……お前はまさに大黒天女の化身に他ならぬ……お主、それほどの力を得て何を望む?」
清美は巨体を正し、静かに目を伏せた。道着の袖に残る雪の冷たさが、彼女の心を落ち着かせていた。
「うちはただ、みんなば支える女になりたかだけです。力はそのための礎、使わないに越したことはなか」
師匠は優しく笑みを浮かべ、皺深い顔を緩めた。部屋に差し込む朝の光が、二人の間に穏やかな空気を生む。
「至拳、使わうことなしか。よかろう、山を降りるがよい。お主なら、いかなる困難な道も開けよう」
「はい、いろいろお世話になりました」
清美は深く頭を下げ、師匠の言葉を胸に刻んだ。庵を後にする際、彼女の心のどこかで、あの執念深い少女がまた待っているだろうという予感がよぎった。だがそれでも、彼女は静かに荷物をまとめ、下山の準備を始めた。
多くもない荷物を手早くまとめ、リュックを背負った清美は、雪の山道を降り始めた。白いタンクトップに黒いジーンズ、ブーツといういつもの装いが、朝の光に映える。192センチの長身が雪を踏みしめるたび、力強い足音が響き、長い黒髪が風に揺れた。山道は滑りやすく、木々の枝から雪が落ちては彼女の肩を叩く。清美はそれをものともせず、確かな足取りで進んだ。背中には静かな強さが湛えられ、修行で得た新たな力が体内で静かに脈打っていた。
雪の積もった木立を抜け、急な斜面を下るにつれ、風景が少しずつ開けていく。遠くに谷間が見え始め、冷たい風が頰を撫でる。清美の朗らかな瞳が、周囲の気配を探るように細められた。あの少女――松浦令子は、今日もどこかで待ち続けているのだろうか。十四歳の小さな体で雪に耐え、平伏し続ける姿を思い浮かべると、胸に複雑な感情が広がった。
吹雪が容赦なく荒れ狂う山道の途中、白い雪の帳が視界を狭めていた。加藤清美は下山の足を進めながら、ふとその場で立ち止まった。道の中央に、再びあの白いロングコートをまとった少女が深々と平伏している。長い茶髪が激しい風に乱れ、雪の結晶がその上に厚く積もり、十四歳の小さな体躯を白く覆い隠さんばかりだった。
「清美様、どうか御一手!」
その姿に、ついに加藤清美は足を止めた。
「……わかりました。そいばってん、覚悟はしとってください。うちと一手交えるなら、今後の保証も、命の保証も、できんとです」
清美の声は低く、しかし芯の通った響きを帯びて雪風に溶け込んだ。192センチの巨体が雪を踏みしめ、荒々しく逆立った長い黒髪が激しく揺れる。鍛え抜かれた筋肉が白いタンクトップの下で静かに張りつめ、朗らかな瞳にわずかな緊張が宿った。
松浦令子はゆっくりと顔を上げた。異色の瞳――左の赤い目が燃えるように輝き、右の銀灰色の失われた瞳が冷たく光る――に、満面の笑みが広がる。凍えた頰が紅潮し、長い茶髪が雪を払って翻った。
「それこそまさに……望むところです!」
その瞬間、二人の間に張りつめていた空気が一気に爆ぜた。吹雪の只中で、戦いの幕が切って落とされる。
清美はまず軽く構えを取った。巨体を低く沈め、雪を蹴り上げるような踏み込みで間合いを詰める。令子はコートの裾を翻し、しなやかな猫のような身のこなしで飛び込んだ。十四歳とは思えぬ速さで、彼女の掌底が真空を切り裂き、清美の胸元を狙う。手刀の軌道は鋭利な刃物さながらに雪片を両断し、風圧だけで周囲の木々の枝から雪が一斉に落ちた。
清美は舌を巻いた。巨体の動きとは思えぬ素早さで体を捻り、令子の掌底を受け流す。だがその衝撃の余波だけで、彼女の道着の袖が裂け、雪が舞い上がる。
(強い! この若さで、これほどの拳を極めるか!?)
令子の次の蹴りが、低い位置から弧を描いて清美の脇腹を襲う。子猫のような柔軟さで体を回転させ、蹴りの先端が竜巻のような気流を纏う。清美は腕を交差させてガードしたが、衝撃が骨まで響き、巨体がわずかに後退した。雪の地面が二人の足下で抉れ、深い溝を刻む。
しかし清美の剛拳が反撃に転じる。彼女の右ストレートは重厚な鉄槌のごとく、令子の肩口を捉えようと迫った。令子は白鶴亮翅の要領で力を流そうとするが、清美の拳はそれを貫通し、少女の体を吹き飛ばした。令子のロングコートが大きく膨らみ、雪の上を滑るように後退する。彼女はすぐに体勢を立て直し、真空波を纏った手刀を連発。ミキサー状の回転する風刃が清美の周囲を切り刻む。
清美は動躰法で相手の筋肉の微かな震えを読み取り、剛拳を振るうたび、令子の攻撃をことごとく受け流した。カウンターの機会は与えず、ただ圧倒的な力で貫く。令子の蹴りが清美の太腿に食い込むが、巨体の筋肉がそれを跳ね返し、逆に令子のバランスを崩す。雪が二人の動きに巻き込まれ、白い渦が山道全体を覆う。木々が軋み、枝が折れる音が吹雪に混じる。
(こん娘はいずれ、拳の頂に到達する……)
清美の心に、そんな確信が芽生えるほど、令子の動きは才能の塊だった。少女は息を荒げながらも、次の一撃に全霊を込める。跳躍して清美の頭上から肘打ちを落とす。体が空中で捻れ、茶髪が弧を描き、コートが翼のように広がる。だが清美は片手でそれを掴み取り、地面に叩きつけた。雪が爆発的に舞い上がり、衝撃波が周囲の雪を放射状に飛ばす。
令子は転がりながら立ち上がり、歯を食いしばった。手足に感じる痛みが、逆に彼女の血を熱くさせる。封印の力が微かに目覚め、傷ついた部分から力が漲るような感覚。
(強い! 強すぎる! こんな奴が、この世にいるなんて!)
自身の掌底がことごとく受け流され、剛拳が防ぎきれずに体を抉る屈辱。カウンターは間に合わず、躱すことさえままならない。致命傷を避けるだけで精一杯の攻防が続く。令子の蹴りが清美の脇を掠め、道着を裂くが、次の瞬間、清美の掌が令子の腹部に吸い込まれるように突き刺さった。少女の体がくの字に折れ、雪の上を数メートル吹き飛ぶ。口から白い息が漏れ、異色の瞳が激しく揺らぐ。
それでも、令子の瞳は燃え盛っていた。雪にまみれた体を起こし、笑みを浮かべながら再び突進する。白いコートが翻り、長い茶髪が雪風に踊る。
(今、自分は武の頂と戦っている! 彼女に引っ張られて、限界を超える自分がわかる! ……彼女を越えたい!)
二人の拳が激しく交錯するたび、雪が大波のように舞い上がり、山全体が二人の熱気に震えているかのようだった。清美の重厚な剛拳が空気を引き裂き、令子の軽やかな手刀が風を操って応戦。令子は体を低く滑るように移動し、清美の死角から連続蹴りを浴びせるが、巨体の清美はそれを予測したように体を回転させ、肘で迎え撃つ。衝撃の余波で雪柱が立ち上がり、視界をさらに悪くする。
清美の左フックが令子の肩を捉え、骨が軋む音が響く。令子は耐えきれず膝をつくが、すぐに跳ね起き、回転しながらの回し蹴りを放つ。蹴りの軌道が雪を巻き込み、小さな雪の竜巻を生み出す。清美はそれを腕で弾き返し、逆に前進して掌底を連打。令子の体が雪の上を滑り、木の幹に激突して止まる。樹皮が剥がれ、雪が崩れ落ちる。
痛みと興奮が令子の全身を駆け巡る。十四歳の体は限界を迎えつつも、精神の炎がそれを凌駕していた。彼女はコートの袖を払い、息を整えながら次の間合いを計る。清美は巨体をわずかに揺らし、朗らかな瞳に戦いの喜びを宿しながら待つ。吹雪はますます激しさを増し、二人の周囲を白い牢獄のように囲んでいた。
吹雪が天地を覆い尽くす山道の只中で、加藤清美の巨体から激しい汗が噴き出していた。白いタンクトップが肌に張りつき、鍛え抜かれた筋肉の輪郭を浮き彫りにする。荒々しく逆立った長い黒髪の先端から湯気が立ち上り、雪片を溶かしながら白い霧となって周囲に広がった。192センチの長身が雪を深く抉り、ブーツの底が地面を震わせるたび、冷たい風すら彼女の熱を前にして一瞬退くかのようだった。天地の理でさえ、この肥後の獅子の肉体を縛ることはできなかった。修行で得た伝説の拳が、彼女の内に静かに燃え続けている。
対する松浦令子は、すでに限界の淵に立たされていた。白いロングコートは血と雪にまみれ、裂けた袖から覗く細い腕には幾つもの骨折が走り、皮膚が裂けた傷口が無数に開いていた。十四歳の少女の体は満身創痍で、左の赤い瞳が痛みと興奮で濡れ、右の銀灰色の瞳が冷たく虚ろに輝く。長い茶髪は血の雫を纏い、風に乱れながらも彼女の決意を象徴するように揺れていた。それでも令子は立っていた。膝が震え、息が荒く白く凍りつく中、彼女は歯を食いしばって前を向く。
「はあっ!」
気合の声とともに、令子は全身の力を右腕に集中させた。特殊合金をも紙きれのように引き裂く必殺の手刀が、真空の刃を纏って清美の胸元を狙い、横薙ぎに振り抜かれる。風が唸りを上げ、雪の粒子が刃の軌道に沿って細かく粉砕される。少女のしなやかな体が低く沈み、回転を加えて威力を増幅させた一撃は、まるで異界の力を宿したかのような鋭さを持っていた。
しかしその手刀は、清美の剛拳にやすやすと迎え撃たれた。巨体の右腕が弧を描き、令子の手首を正確に捉える。衝撃の瞬間、骨が砕ける乾いた音が吹雪を切り裂き、令子の利き腕が無残に潰された。
「ぎゃっ!」
少女の短い悲鳴が雪風に飲み込まれ、どす黒い鮮血が白い雪面を汚した。血の滴はすぐに新雪に覆い隠され、赤い染みが薄れていく。令子の体がよろめき、右腕がだらりと垂れ下がる。コートの前が大きく裂け、腹部や肩の裂傷から新たな血が滲み出た。それでも彼女の足は雪に根を張ったように踏みとどまり、異色の瞳に敗北の影が差しても、炎は消えなかった。
令子は自身に勝ち目がなくなったことを、はっきりと悟っていた。清美の剛拳はすべてを受け流し、貫き、圧倒する。カウンターの機会すら与えず、ただ純粋な力と経験で少女をねじ伏せる。十四歳の体はすでに動くたびに激痛が走り、封印の血が疼いても回復が追いつかない。それでも、彼女は戦うことをやめなかった。命がある限り、一歩でも、半歩でも前に進む。それが松浦令子という少女の本質だった。
令子は左腕だけで体を支え、血まみれの足を踏み出した。雪が深く沈み、バランスを崩しながらも回転蹴りを放つ。蹴りの先端に微かな風の渦を纏わせ、清美の脇腹を狙う。動きはすでに鈍く、力も弱まっていたが、執念がそれを補っていた。清美は軽く体を捻り、掌で蹴りを弾き返す。衝撃で令子の体が半回転し、雪の上に膝をつく。少女はすぐに跳ね起き、頭突きのような勢いで突進した。茶髪が血と雪を飛ばし、白いコートがぼろぼろに翻る。
清美はそんな令子を見ながら、奇妙な感覚に囚われていた。巨体の胸の奥で、何かが強く疼く。朗らかな瞳に一瞬の迷いがよぎり、荒々しい黒髪が風に乱れる。
(この娘は……死なせちゃいかん。活かさねばならん。理由はわからんけど、うちの本能がそう言うとる……)
九州の伝説的番長として、数多の喧嘩をくぐり抜けてきた清美の勘が、令子の未来を予感させるかのようだった。
吹雪が天地を白く塗りつぶす山道の只中で、松浦令子は最後の力を振り絞っていた。血にまみれた白いロングコートが風にぼろぼろと翻り、長い茶髪が雪と血の塊となって頰に張りつく。十四歳の体はすでに限界を超え、幾つもの骨折した箇所が激痛を放ち、裂傷から流れ出る血が雪面を赤く染めていた。それでも彼女は右腕だけをまともに動かし、歯を食いしばって構えを取った。
令子は低く沈み込み、息を一つ大きく吸い込んだ。異色の瞳が激しく輝き、左の赤い目が燃えるような決意を宿す。右の銀灰色の瞳は虚ろに冷たく光りながらも、少女の精神を支えていた。彼女は全身の残滓を右腕に注ぎ込み、渾身の手刀を放った。先ほどまでの鋭利で高速な軌道とは違い、今の一撃は鈍く、重く、しかし底知れぬ執念を乗せたものだった。真空の気流すらまともに纏えず、ただ純粋な意志だけが刃を形作る。手刀の先端が雪を押し分け、清美の胸元へと一直線に迫った。
加藤清美は巨体を微かに揺らし、荒々しく逆立った長い黒髪を雪風に任せていた。鍛え抜かれた筋肉が白いタンクトップの下で静かに波打ち、192センチの長身が雪を深く踏みしめている。朗らかな瞳に一瞬の迷いが過ぎり、すぐに穏やかな決意へと変わった。彼女はあえて構えを緩め、令子の手刀を迎え入れる位置に体を置いた。
その瞬間、令子の瞳に清美の構えがはっきりと映った。今までとは比べ物にならない、最大最強の一撃が来る――そう悟った。巨体の全力を乗せた剛拳が、雪を爆散させながら自分に向かって放たれる幻影が脳裏をよぎる。少女の心に、静かな死の予感が広がった。
(あ、死ぬ)
令子は静かに死を覚悟した。不思議と悔しさはなかった。ただ、
(ちぇっ、仕方ないや……次に生まれてくるときは、絶対に私が勝つんだから)
という、諦観と小さな意地だけが胸の奥に残った。血まみれの体がわずかに震え、茶髪が風に舞う中、彼女は最後の手刀を振り切り続けた。
だが――令子を粉々に砕くはずだった清美の拳は、放たれなかった。代わりに、令子の鈍い手刀が、清美の胸を深々と貫いていた。
「は……?」
令子はぽかんと清美を見つめた。勝つはずの清美が吐血し、負けるはずの自分が生きている。その現実が、令子には全く理解できなかった。右腕が清美の胸の奥深くまで沈み込み、温かい血が自分の指先を伝う感触が、少女の神経を焼くように鮮烈だった。
清美は血を吐きながらも、穏やかに微笑んだ。巨体の口元から赤い血が溢れ、雪の上に滴り落ちる。朗らかな瞳が優しく細められ、荒々しい黒髪が血の雫を纏って重く垂れ下がった。
「神さんは……あんさんば活かすことに決めたごた……うちの命運は、ここまでんごた……」
その言葉は弱々しく、しかし芯の通った九州訛りで雪風に響いた。清美の巨体がわずかに前傾し、令子の手刀を自ら受け止めたまま、ゆっくりと膝を折った。ブーツが雪を抉り、192センチの長身がどうっと重い音を立てて雪の上に倒れ込んだ。雪が瞬く間に彼女の体を白く覆い始め、長い黒髪が広がって血の跡を柔らかく包み込む。タンクトップが赤く染まり、鍛え抜かれた筋肉が最後の痙攣を起こした。
令子は呆然と立ち尽くし、血に染まった自分の右手を眺めた。指先から滴る温かい血が、冷たい雪に落ちて溶けていく。十四歳の少女の胸に、初めて本物の動揺が広がった。異色の瞳が大きく見開かれ、左の赤い目が激しく揺らぎ、右の銀灰色の瞳に得体の知れない熱いものが込み上げてきた。それは悔しさでも、勝利の喜びでもなく、もっと根源的な、魂を震わせる何かだった。トラウマの種となり、未来の彼女を縛るであろう、強烈な衝撃。
吹雪が容赦なく荒れ狂う山道の真っ只中で、松浦令子は血に染まった両手を伸ばし、加藤清美の巨体を必死に抱き起こした。十四歳の細い腕が震え、白いロングコートが雪と血で重くまとわりつく。長い茶髪が乱れ、異色の瞳が激しい動揺に揺らめいた。
「ま、待って! 待ってよ!
こんな決着、絶対に認めない!
勝っていたのはあなたよ!
こんなお情けみたいな勝ち方……!」
令子の声は吹雪にかき消されそうになりながらも、必死に響いた。彼女は清美の肩を掴み、冷たくなり始めた体を自分の胸に引き寄せた。血の温かさがコートに染み込み、少女の指先を赤く濡らす。
清美は口から鮮血を溢れさせながら、弱々しく微笑んだ。荒々しく長い黒髪が雪に沈み、192センチの長身が令子の腕の中でわずかに痙攣する。朗らかな瞳が薄く開き、穏やかな光を宿していた。
「あさんには使命がある。
そいば果さんといかん。
うちの使命は……あさんに道を示すこと……」
その言葉は途切れ途切れに紡がれ、血の泡とともに零れ落ちた。清美の巨体から立ち上る最後の熱が、雪を溶かして白い蒸気となる。
令子はただ泣きじゃくった。異色の瞳から大粒の涙が溢れ、頰を伝って雪に落ちる。彼女にとって、勝者はすべてを掴み、敗者はすべてを失う存在だったはずだ。今、その理屈が崩れ、敗者の自分が生き残り、勝者の清美が命を落としている。
「わかんない! 全然意味わかんないよ!」
令子は清美の体を激しく揺さぶった。血まみれの右腕が痛みを訴えるが、構わず力を込める。少女の小さな体が清美の巨体に覆いかぶさるようにしがみつき、茶髪が二人の間に乱れ散った。
「ねえ、こんなの理不尽よ!
生き返りなさい! 生き返ってもう一度勝負しなさい!」
めちゃくちゃな呼びかけが雪風に何度も投げかけられる。令子は清美の頰を両手で挟み、必死に顔を近づけた。冷たい雪が二人の肌を刺し、血の臭いが吹雪に混じる。清美の瞳はすでに虚ろになり始め、焦点がぼやけていた。それでも唇がわずかに動き、最後の言葉を紡ぎ出す。
「……ああ、死にとうなかなぁ……
もう少し、生きたかったなぁ……」
その声は穏やかで、どこか懐かしい響きを帯びていた。九州の伝説的番長の最期の吐息が、山間に静かに溶けていく。どうっと重い音を立てて、清美の長身が雪の上に倒れ込んだ。巨体が雪を深く抉り、血の跡が白い地面に赤い花を咲かせる。長い黒髪が広がり、白いタンクトップが鮮血に染まって動かなくなった。
令子は呆然とその場に跪いた。膝が雪に沈み、血と涙で顔がぐしゃぐしゃになる。
「ねえ、清美……
わ、わたしどうしたらいいの?
あなたが死んだら、わたしはどうやってあなたに勝てばいいの?」
少女はぐしゃぐしゃと自分の頭をかきむしった。指が茶髪を掴み、引きちぎらんばかりの勢いだ。異色の瞳に映るのは、雪に埋もれゆく清美の亡骸だけ。胸の奥から込み上げる熱いものが、喉を詰まらせ、言葉を奪う。
「わかんない……わかんないよぅ……
ねえ、清美、おしえてよ……」
令子は体を折り、雪の上に額を押しつけた。十四歳の肩が激しく震え、嗚咽が吹雪に掻き消される。封印の血が疼くのを感じながらも、今はただ、理解できない喪失感が心を支配していた。強さへの渇望が、初めて本物の絶望と混じり合い、少女の内に深い影を落とす。
やがて令子はフラフラと立ち上がった。足元がふらつき、白いロングコートが血と雪の重みで体を引きずる。彼女は清美の亡骸をもう一度振り返り、唇を噛みしめた。背中は親とはぐれた子供のように頼りなく、小さく見えた。吹雪の白い帳の中に、その姿がゆっくりと溶け込んでいく。長い茶髪が風に舞い、異色の瞳が最後に一瞬、強い光を宿して消えた。
数日後、偶然通りかかった登山家によって加藤清美の遺体は発見された。雪の下で静かに横たわる巨体は、まるで穏やかな眠りのように見えた。九州から遠く離れたこの山中で、肥後の獅子は静かに埋葬された。彼女の死は、まだ誰も知らないまま、雪深い大地に刻まれた。
そしてこの一月後――
熊本の街は、八十女の手によって、未曾有の災禍に飲み込まれることになる。松浦令子はあの雪山での出来事を胸に秘め、狂おしいほどの強さへの渇望を燃やしながら、九州の地に牙を剥く
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