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路地裏の勇者と時代錯誤の愚連隊

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深夜の路地裏に、街灯の明滅する淡い光が不規則に落ちていた。コンクリートの壁に影が歪に揺れ、湿った空気にゴミの腐臭と血の匂いが混じり合う。整った顔立ちの少年、ケントは右手から溢れ出す青白いオーラを剣の形に凝固させ、それを軽やかに振り回していた。刃の軌跡が夜気を切り裂き、残光が一瞬だけ弧を描く。
「ぐわっ!」
柄の悪いチンピラの一人が、腹部を抉るような衝撃を受けて体をくの字に折り、吹き飛んだ。背後のゴミ箱に激突する音が鈍く響き、男は金属のへこみに絡まるようにして動かなくなった。体格では明らかに不利なはずのケントだったが、その動きは洗練され、予測不能な速さを帯びていた。異世界の勇者として神から授かった力は、少年の筋肉一つひとつを常人の限界を超えた領域へと研ぎ澄ませ、反射神経を神域の域にまで高めていた。
ケントは剣を軽く旋回させ、残る最後のチンピラに向き直った。少年の表情には疲労の色すらなく、ただ淡々とした冷静さが浮かんでいる。最後の男は震える声で威嚇を吐き出した。
「何のつもりだ……俺らに手を出してただで済むと……」
ケントは軽く肩をすくめ、ため息を一つ零した。
「やれやれ、使い古しの脅し文句だな。あんまり目立ちたくはないけど、一応オレも勇者なんでね」
剣の切っ先が、男の喉元にぴたりと突きつけられた。冷たいオーラの刃が肌に触れそうになり、チンピラは全身を硬直させた。額から汗が滝のように流れ落ち、膝が小刻みに震える。その瞬間、路地の奥から慌ただしい声が響き渡った。
「皆さん、こっちです! は、早く! 早く来てください!」
複数の足音が夜の闇を踏み鳴らし、急速に近づいてくる。ケントは視線だけを素早くそちらへ移し、思わず表情を曇らせた。
現れたのは、時代錯誤も甚だしい集団だった。特攻服に派手な刺繍を施した特攻旗を背負い、髪をリーゼントに固め、指抜きグローブをはめた男たちが十数人、路地を埋め尽くすようにずらりと並ぶ。現代の福岡の裏路地に、昭和の暴走族がそのままタイムスリップしてきたような光景が広がっていた。
先頭に立つ長身の男が、鋭い眼光をケントへと突き刺した。単なるチンピラのそれとは明らかに違う、重厚な威圧感がその視線には宿っていた。
「兄さん、随分と威勢がいいな?」
ケントは剣を下ろさず、口元に苦笑を浮かべた。
「ええ? 今の時代にその恰好……タイムスリップでもしてきたのか?」
暴走族の一人が、ニヤリと唇の端を歪めた。歯の隙間から覗く金歯が、街灯の明滅に光る。
「勇者様が異世界から来てるってのに、俺らが昭和の恰好してるのがそんなにおかしいか?」
空気が一瞬で張りつめた。ケントの背筋に、冷たい予感が這い上がる。最初に倒したチンピラたちとは根本的に違う――この男たちは、ただの喧嘩屋ではない。何か、得体の知れない力を潜ませている気配があった。
長身の男はゆっくりと一歩前へ踏み出した。革靴の底がアスファルトを擦る音が、やけに大きく響く。彼は首を軽く傾け、ケントのオーラ剣を値踏みするような目つきで観察した。


深夜の路地裏に、街灯の明滅が不規則な影を刻み続けていた。倒れたチンピラの呻き声がまだ途切れず、湿った空気の中に血と汗と油の臭いが重く淀んでいる。暴走族のリーダー格――ケントが内心で「珍走」と名付けた長身の男が、ゆっくりと顎をしゃくった。
「おい、お前がやれ」
その言葉に、集団の後方から一人の大柄な男が前に進み出た。筋肉が特攻服を内側から押し上げ、首の太さが異様な印象を与える。ケントは即座に心の中で「ゴリラ」と呼ぶことに決めた。ゴリラは分厚い肩を回し、指抜きグローブを握りしめながら低く唸った。赤いオーラがその拳にぼんやりと灯り、地面を踏む足音が重く響く。
その瞬間、路地の奥から鋭く澄んだ少女の声が切り裂いた。
「待て」
声が響いた途端、暴走族の男たちが一斉に息を呑み、後ずさりした。訓練された動きで背筋を伸ばし、頭を深く下げる。
「押忍! お疲れ様です!」
彼らの間を、悠然とした足音が二つ近づいてきた。一人は黒と紫を基調としたゴシックロリータ風の衣装に身を包んだ、小柄なツインテールの少女――杉乃井きずなだった。紫色の大きなリボンが夜風に揺れ、彼女はケントを睨みつけながらも、もう一人の少女の陰に半身を隠すようにしておどおどと視線を泳がせている。
もう一人は、真っ赤な長髪を腰近くまで伸ばした、與杼姫月羽だった。白い羽織が肩に掛かり、黒を基調とした着物風の戦闘衣装がその細い体を包んでいる。三白眼の冷たい視線が、路地の闇の中で禍々しく輝いていた。
月羽は片手を軽く上げ、暴走族たちを制した。
「お前ら、下がってろ。こいつはボクがやる」
ゴリラと珍走が、まだ頭を下げたまま抗議の声を上げた。
「ええ?」
「この程度の奴、わざわざ月羽さんがやらなくても、新入りにやらせれば……」
月羽は鼻で短く笑い、赤い髪を軽くかき上げた。唇の端がわずかに歪む。
「お前ら最近頑張ってるからな。褒美に術の手本を見せてやる。一回しかやらないから、よく見ておけよ」
「押忍! 勉強させていただきます!」
暴走族たちが一斉に声を揃え、道を広く空けた。足音が遠ざかり、路地の中央に月羽とケントが対峙する空間が生まれる。月羽は三白眼を細め、ケントのオーラ剣をじっくりと観察した。冷たい視線が少年の全身を舐め回すように這う。
「異世界の勇者様、か。……随分と威勢がいいじゃないか。だがちょいとはしゃぎすぎたな」
きずなは月羽の背後から顔を少しだけ出し、小声で急かした。
「あ、あの……月羽さん、早くやっちゃいましょうよ……あたし、令子様のところに早く帰りたいです……」
月羽は小さく舌打ちをし、ゆっくりと白い羽織を翻した。布が夜気に広がり、袖口から淡い紫色の呪気が溢れ出す。路地全体の温度が一瞬で下がったかのように、湿った空気が重く淀み、地面の水溜まりに細かな氷の膜が張り始めた。月羽の赤い髪が静電気のようにわずかに浮き上がり、アホ毛がぴくりと跳ねる。
ケントは剣を構え直し、表情を引き締めた。相手がただの少女ではないことは、肌を刺すような呪気の密度で即座に理解できた。異世界の勇者として培った勘が、警鐘を鳴らしている。月羽は一歩を踏み出し、青い帯を締め直した。声は低く、抑揚をほとんど感じさせない。
「ボクの庭で好き勝手やってくれたんだから、相応の代償は払ってもらうよ」
彼女の右手がゆっくりと上がり、指先で複雑な印を結んだ。瞬間、周囲の影が不自然に蠢き始めた。路地の壁から、床下のような暗く狭い闇が実体化し、ケントの足元へと這い寄ってくる。過去の戦いを思わせるような、底知れぬ暗黒の気配だった。


深夜の路地裏に、冷たい呪気が濃密に淀み続けていた。街灯の明滅が赤い長髪を不規則に照らし出し、與杼姫月羽の白い羽織が静かに揺れる。ケントはオーラの剣を油断なく構え直し、両足を肩幅に開いて重心を低く落とした。少年の瞳には警戒の色が濃く浮かび、異世界の勇者として培った勘が全身の神経を研ぎ澄ませている。
月羽はゆっくりと両手を合わせ、合掌の姿勢を取った。小柄な体から溢れ出す呪気が、路地の空気をさらに重く押し下げる。彼女の三白眼がわずかに細められ、唇が低く荘厳な呪文を紡ぎ始めた。
「與杼姫月羽が拝み奉りて申す。
日向の橘の小戸の阿波岐原の禊より生まれし八難神、
集い来たりて怨敵に仇なし給へと畏み畏み申す」
荘厳な響きが路地全体に反響し、古の修験道の力が現実の因果をねじ曲げる気配を帯びる。ケントは内心で鼻を鳴らした。
(詠唱が必要だなんて、現代魔法は遅れすぎだぜ!)
彼は相手の気配に警戒していただけで、実際の脅威など感じていないと自分に言い聞かせ、余裕を取り戻そうとした。剣を左手に持ち替え、右手を大きく突き出す。
「超級神滅業焔魔法!!」
ケントの右手から、灼熱の炎が爆発的に膨れ上がった。巨大な火球が路地の空気を焼き払いながら一直線に月羽に向かって飛翔する。炎の塊は直径数メートルにも達し、周囲のゴミ箱を瞬時に溶かし、アスファルトを黒く焦がしながら猛進した。
「月羽さん!!」
後方で杉乃井きずなが悲鳴を上げ、小柄な体をさらに珍走の陰に縮こまらせた。紫のリボンが震え、黒いマントを握りしめる手が白くなる。火球は月羽の小柄な体を瞬時に包み込んだ。路地裏に巨大な火柱が立ち上り、夜空を赤く染め上げる。轟音と熱波が暴走族たちを後退させ、壁に貼りついたチンピラを一瞬で炭化させた。ケントは頭をかきながら、余裕の笑みを浮かべた。
「あれ? ひょっとして強すぎる魔法使っちゃった?」
しかし、暴走族の男たちは表情一つ変えなかった。珍走とゴリラをはじめとした面々が、ただ静かにその光景を見つめている。その直後——
ケントの右腕が突然、猛火に包まれた。自分の放った超級神滅業焔魔法が、まるで意志を持ったように跳ね返り、自らの体を襲う。
「なっ!? なんで!?」
ケントは慌てて後退し、アンチマジックを唱え始めた。左手で複雑な印を切り、対抗スキルを全力で展開する。青白い防御オーラが体を覆い、炎を押し戻そうとする。しかし炎の勢いは一切衰えず、抵抗ごと少年の全身を飲み込んでいった。オーラ剣が溶けるように輝きを失い、衣服が一瞬で炭化する。
「ぎゃああああああっ!」
勇者の断末魔のような悲鳴が路地裏に長く尾を引いて響き渡った。ケントは地面を転げ回り、右腕を必死に振り回すが、火は皮膚の奥深くまで食い込み、筋肉を焦がし、骨を炙る。痛みのあまり視界が白く染まり、異世界の神から与えられた再生力すら追いつかないほどの激痛が全身を駆け巡る。少年は膝をつき、這うように逃げようとするが、足元からも炎が噴き上がり、体を拘束した。
炎の中でケントが見たのは——いつの間にか火柱の中から悠然と歩み出て、無傷で立っている月羽の姿だった。赤い長髪が熱風に靡き、白い羽織の裾がわずかに焦げた跡すらない。三白眼が冷たく細められ、唇に薄い笑みが浮かぶ。
「これぞ川上修験道『厄難返しの法』。
我が呪術は、我が身に降りかかる因果を、相手に返す。
どこの木っ端神に力をもらったか知らんが……相手が悪かったな」
月羽の声は低く、抑揚をほとんど感じさせないながらも、確かな嘲りが込められていた。彼女はゆっくりと一歩を踏み出し、燃え盛るケントを見下ろす。きずなは珍走の後ろから顔を出し、ほっとしたように息を吐いた。
「あ……やっぱり月羽さんなら大丈夫だよね……あたし、びっくりしたよ……」
暴走族の男たちが一斉に頭を深く下げ、声を揃えた。
「押忍! 月羽さん、お見事でした!」
「勉強になりました!」
月羽は白い羽織を軽く翻し、燃え上がるケントに冷ややかに視線を落とした。少年の体は今や全身が業火に包まれ、皮膚が剥がれ落ち、肉が溶ける音が路地に不気味に響いている。ケントは両手で顔を覆い、地面に額を擦りつけるようにして苦痛に悶え続けた。オーラの残滓が必死に抵抗するが、厄難返しの法は因果そのものを逆転させており、魔法の根源である神の力すら月羽の術式に取り込まれ、増幅されて返されている。
「う……ぐあっ……やめ……ろ……」
ケントの声はすでに掠れ、言葉にならない呻きへと変わっていた。炎は彼の髪を焼き払い、整った顔立ちを黒く焦がし、勇者としての誇りを容赦なく削り取っていく。月羽は合掌を解き、片手を軽く振って呪気の流れを調整した。火柱がさらに勢いを増し、路地の壁にまで炎の舌が這う。


深夜の路地裏は、焦げた肉と煙の臭いが濃厚に立ち込め、街灯の明滅がぼんやりと惨状を照らし出していた。地面に倒れ伏したケントの体はまだ業火に包まれ、皮膚が溶け落ち、筋肉が露わになった部分が赤黒く泡立っている。少年の息は荒く、時折全身が痙攣し、喉の奥から掠れた苦痛の呻きが漏れ続けていた。異世界の勇者としての再生力すら、厄難返しの法によって増幅された炎の前ではほとんど意味を成さず、ただ耐え難い熱が骨の髄まで焼き続けている。
月羽は白い羽織の裾を軽く払い、三白眼を冷たく細めてケントを見下ろした。赤い長髪が夜風にわずかに揺れ、アホ毛がぴくりと動く。彼女はゆっくりと顎をしゃくり、暴走族たちに向かって声をかけた。
「そろそろ反省したか。おい、消してやれ」
その言葉に、大柄な男――ゴリラが即座に一歩前へ進み出た。特攻服の胸元が筋肉で張り、指抜きグローブを握りしめる手に力がこもる。
「押忍! 失礼します!
御、水天神、薩婆訶!」
ゴリラが低く真言を唱えると、虚空に淡い青光が浮かび上がった。瞬間、路地の空気が冷気を帯び、巨大な水流が天井から奔流のように落下してきた。濁流はまるで生き物のように意志を持ち、ケントの全身を一瞬で包み込む。激しい水音が路地に響き渡り、蒸気が白く立ち上る。水流はケントの持つすべてのアンチマジックと対火炎防御を貫通し、猛烈に燃えていた炎を容赦なく叩き潰した。わずか十数秒で火は完全に消え去り、地面に大量の水溜まりが広がった。
ケントの体から白い煙が激しく上がり、焼けただれた皮膚が水に触れてさらに激しい痛みを呼び起こす。少年は地面に這いつくばり、喉を掻き毟るようにして喘いだ。整っていた顔立ちはもはや原型を留めず、ただれ、腫れ上がり、黒く炭化した部分と生々しい赤い肉が混在している。髪はほとんど焼き払われ、頭皮が露わになり、唇は裂けて血と体液を滴らせていた。
しかし、それを見た月羽の表情はますます険しくなった。三白眼が鋭く吊り上がり、舌打ちが小さく響く。
「チッ……!」
月羽は一瞬で間合いを詰め、ゴリラの顔面を容赦なく殴りつけた。固い打撃音が路地裏に響き渡り、ゴリラの鼻から鮮血が噴き出した。男の巨体がわずかによろめく。
「この未熟者が! あの程度の炎に時間をかけやがって!
自身の内の力だけで術を使っているな? ちゃんと守り本尊の力を下ろせてない証拠だ!」
月羽の声に苛立ちが滲み、赤い髪が激しく揺れた。彼女はさらに一歩踏み込み、ゴリラの胸倉を掴んで引き寄せ、低く吐き捨てる。
「ボクがどれだけ言っても聞かないんだから……お前ら、もっと本気で修行しろよ。力の借り方すらままならないようじゃ、八十女の名が廃る」
ゴリラは鼻血を滴らせながらも、即座に深々と頭を下げた。血が特攻服の胸元を赤く染めても、声は一切震えていない。
「押忍! お見苦しいところを見せました。御指導ありがとうございます!」
珍走が慌てて横から割って入り、頭を下げながらとりなした。
「すいません、月羽さん。こいつ新入りなんです。勘弁してやってください」
月羽は小さく息を吐き、苛立ちを抑えるように白い羽織の袖を直した。彼女は倒れたケントに視線を戻し、冷ややかに命じた。
「ちっ……まあいい。おい、こいつをふんじばっておけ」
月羽は軽く足を振り上げ、ケントの腹部を容赦なく蹴り飛ばした。鈍い音が響き、少年の焼けただれた体が地面を転がる。水溜まりに沈み、煙を上げながら壁際に叩きつけられた。ケントはもはや声を上げる力すら残っておらず、弱々しいうめき声だけを漏らし続けている。全身から白い煙が立ち上り、焼けた肉の臭いが路地全体に広がっていた。きずなは月羽の後ろから顔を出し、ケントの惨状を目にして顔を青ざめさせた。小柄な体を震わせ、紫のリボンを握りしめる。
「う……うわぁ……」
月羽はきずなの反応に気づき、小さく鼻を鳴らした。冷たい三白眼に、わずかな労りの色が一瞬だけ浮かぶ。
「きずな、お前はまだそういうの見るの慣れてないよな。……まあ、いい勉強になっただろ」
きずなは小さく頷きながらも、視線をケントから逸らそうと必死だった。月羽は白い羽織を翻し、暴走族たちに軽く顎をしゃくった。男たちは即座に動き、ケントの体を縄で縛り上げ、路地の奥へと引きずっていく。ケントの焼け焦げた指が地面を弱く掻き、引きずられるたびに新たなうめき声が漏れた。
路地裏に残るのは、ケントの弱々しいうめき声と、水滴の落ちる音、そして薄れゆく煙の臭いだけだった。


深夜の路地裏に、焦げつくような臭いと湿った水溜まりの冷気がまだ残っていた。地面には白い煙が細く立ち上り続け、ケントの焼けただれた体が暴走族の男たちによって荒縄で固く拘束されている。少年の四肢は不自然に捻じ曲げられ、炭化した皮膚が縄に擦れて新たな体液を滲ませていた。整っていた顔はもはや原型を留めず、腫れ上がりただれた肉が露わになり、弱々しいうめき声が喉の奥から途切れ途切れに漏れ続ける。珍走とゴリラをはじめとした男たちが、無言で彼の体を引きずり、路地の壁際に寄せていた。
その様子を少し離れた位置から見つめながら、杉乃井きずなは紫色の瞳を大きく見開き、恐る恐る隣の少女に声をかけた。小柄な体を縮こまらせ、黒いマントの端を両手で握りしめている。
「月羽さん、さっきのってどうやったんですか? なんかマジックバリアとか、そんな感じ?」
與杼姫月羽は大きくため息をつき、赤い長髪を指先で軽くかき上げた。白い羽織の袖が夜風に揺れ、三白眼がわずかに細まる。彼女はきずなの方へ視線を移し、抑揚の少ない低い声でゆっくりと語り始めた。
「あのな……術なんてもんは、どれだけ大きかろうが火を出すだの水を出すだのは初歩の初歩だ。
呪術の神髄はこの世の理の流れを知り、それを自在に操ることにある。優れた術者は物を操り、その本質すら変え、時を操り因果を逆転させる。
だが、それには天地陰陽の気の流れを悟らねばならん。祝詞も真言もその入り口に過ぎない。それなしに仕える術など、しょせん内なる力だけ……たかが知れている」
月羽の言葉は路地の闇に静かに溶け込み、古の修験道の重みを帯びていた。彼女の視線は一瞬、拘束されたケントの方へ滑り、冷たい嘲りが唇の端に浮かぶ。きずなは目を丸くして深く頷き、ツインテールの紫リボンが勢いよく揺れた。
「なるほど……」
感心した様子できずなが身を乗り出し、興奮気味に続ける。
「じゃあ、あたしも天地の毛? の流れを見れるようになれば、月羽さんみたいな魔法を使えるんだ!」
「……天地の毛?」
月羽の三白眼が一瞬で鋭く細くなり、赤い眉がぴくりと動いた。空気がわずかに張りつめ、彼女の声に苛立ちが混じる。
「お前はまず自分の内なる力を集中させることをできるようになれ!
すぐに気を散らせやがって!!」
「わ、わかりましたっ!」
きずなはビクッと肩を震わせながらも、元気よく背筋を伸ばして返事した。紫の瞳が少し潤み、幼い意地悪さと向上心が混ざった表情で月羽を見つめ返す。月羽は額を押さえ、呆れたように小さく頭を振った。白い羽織の裾が翻り、冷たい呪気が一瞬だけ周囲に広がる。
「全く……返事だけはいいときた……」
月羽はそう呟きながら、きずなの頭を軽く小突いた。指先の力は強くないが、的確にツインテールの付け根を捉え、少女の体が小さく前後に揺れる。きずなは「いたっ」と小さく声を上げたが、すぐに笑顔に戻り、月羽の袖をそっと掴んだ。
拘束されたケントがそのやり取りの最中も、弱々しいうめき声を上げ続けていた。焼け落ちた唇がわずかに動き、意味のない喘ぎが水溜まりに落ちる。暴走族の男たちは黙々と作業を終え、深々と頭を下げて月羽の指示を待っている。路地の奥では、倒れたチンピラの残骸がまだ煙を上げ、街灯の明滅が全員の影を長く歪に伸ばしていた。

深夜の路地裏に、焼け焦げた肉の臭いと湿った煙がまだ濃く淀んでいた。水溜まりに映る街灯の明滅が、地面に散らばった黒い皮膚の欠片や縄の影を不気味に揺らめかせる。ズタボロになったケントの体は、暴走族の男たちによって荒縄で厳重に拘束されていた。四肢は背後で固く縛られ、焼けただれた皮膚が縄に食い込んで黄白色の体液を滴らせている。整っていた顔は原型を完全に失い、腫れ上がった肉が裂け、炭化した部分がぼろぼろと崩れ落ちていた。息をするたびに喉の奥から掠れた、獣のようなうめき声が漏れ続ける。
珍走が月羽の前に跪き、深々と頭を垂れた。リーゼントがわずかに乱れ、特攻服の肩が緊張で張っている。
「押忍、報告します。拘束が終わりました」
月羽は軽く顎を引いて応じた。白い羽織の袖を払い、赤い長髪を後ろへ流す。
「おう、ご苦労」
彼女はゆっくりと焼け焦げたケントのもとに近づき、ブーツの底で水溜まりを踏みしめた。きずなが恐る恐るその後ろからついてきて、小声で尋ねる。紫のリボンが夜風に小さく揺れ、黒いマントを両手で握りしめていた。
「月羽さん、こいつ……どうするんですか?」
月羽はケントの焼け落ちた髪の残りをわしづかみにし、無理やり顔を上向かせた。少年の首が不自然に反り、ただれた唇から新たな体液が滴り落ちる。元々整っていた美貌は微塵も残っておらず、腫れと炭化と剥離した皮膚が混じり合った、惨めな塊と化していた。月羽の三白眼が冷たく細まり、唇の端がわずかに歪む。
「なんかイサジャパのおっさんが欲しがってんだよ、こういうの。
異世界チートが手に入る商品を作りたいから、サンプルが欲しいんだと」
ケントの瞳に、焼け爛れた瞼の奥で本物の恐怖が浮かび上がった。月羽はさらに顔を近づけ、耳元で低く囁いた。声は抑揚が少なく、しかし残忍な響きを帯びている。
「可哀そうになあ、兄ちゃん。あんた、もう死ぬこともできねえぞ?
永遠にキチガイどものおもちゃだ。お節介の代償は随分高くついたなぁ」
その言葉に、暴走族の男たちが一斉に下卑た笑い声を上げた。ゴリラが太い肩を震わせ、珍走が金歯を覗かせて嗤う。ケントの体が微かに痙攣し、喉の奥から意味のない苦痛の呻きが漏れた。声帯はすでに焼けただれ、言葉を紡ぐことすら許されない。異世界の勇者としての誇りが、ただの玩具へと堕とされる現実が、彼の瞳に絶望の色を深く刻み込んでいた。
月羽は興味を失ったように無表情になり、掴んでいた髪から手を離した。ケントの頭が重く地面に落ち、水溜まりに沈む。彼女は白い羽織を軽く翻し、暴走族たちに命じた。
「連れてけ。おっさんたちによろしくな」
「押忍、承知しました!」
男たちが声を揃え、ケントの拘束された体を担ぎ上げた。焼けた肉が縄に擦れるたび、弱々しいうめき声が路地に響く。少年の指先がわずかに地面を掻き、引きずられる影が長く伸びていた。
きずなが慌てて月羽の後を追い、小走りで並んだ。ツインテールが勢いよく跳ね、紫の瞳にまだ戦いの余韻と不安が混ざっている。
「つ、月羽さん、次はどうするんです?」
月羽は白い羽織の裾を整えながら、冷たく答えた。三白眼が路地の闇を射抜く。
「回収だ。なんでもイサジャパの代金を踏み倒した馬鹿がいるんだと。9割がウチの取り分な」
きずなは小さく頷きながら、月羽の背中を見つめた。小柄な体を寄せ、黒いマントの端を月羽の羽織に軽く触れさせる。月羽は苛立ちを抑えるように額を軽く押さえ、赤い髪を指で梳いた。
「ボクは技術力自体には興味あるけどな……あのおっさんたちの無責任さは、毎回呆れるよ。
まあ、令子が気に入ってるんだから仕方ないけど」
きずなは元気を取り戻そうとするように、声を少し大きくした。
「あたしも、令子様のためならがんばるよ! イサジャパの玩具、強そうだよね!」
月羽は小さく鼻を鳴らし、きずなの頭を軽く小突いた。指先の力は容赦ないが、根底にわずかな労りが感じられる。
「あんな物騒なもんに興味なんか持つんじゃねえ!
まずは自分の力を集中させる練習を忘れるな。天地の『毛』じゃなくて、気の流れだぞ」
「う、うん! がんばる!」
路地裏に残ったのは、焦げ臭い空気と、ケントを担いで遠ざかる男たちの足音、そして少年の遠ざかる苦痛のうめき声だけだった。月羽は白い羽織を大きく翻し、きずなを伴って夜の福岡の闇へと歩き始めた。赤い長髪が街灯の最後の光を反射し、アホ毛がぴくりと跳ねる。八十女のNo.2は、次なる仕事――イサトコ・ジャパンの代金踏み倒し回収――へと冷徹に意識を移していた。
暴走族の影が路地の奥に消え、煙がゆっくりと夜空へ溶けていく。ケントの運命は、これから始まる長い苦界の序章に過ぎなかった。月羽の三白眼には、一切の憐憫など浮かんでいなかった。ただ、淡々と因果を操る修験者の視線だけが、冷たく輝き続けていた。

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