485系その❷
列車の扉が閉まる瞬間、世界との境界がふっと薄れ、
目的地までの時間が静かに流れ始める。
だが日本の鉄道には、見えない“境界”がもうひとつある。
直流と交流、50Hzと60Hz――電気の世界に刻まれた分断だ。
その狭間には「デッドセクション」と呼ばれる無音の領域があり、
かつて多くの電車はそこを越えられなかった。
交流は地上設備が少なく、力強い。しかし車両は高価になる。
直流はその逆で、だが近年は直流車でも十分な力が得られるようになり、
両者の差は静かに縮まりつつある。
そんな時代に求められたのは、どんな電化方式でも走り抜ける“万能の特急”だった。
その答えとして生まれた485系は、国鉄が生んだひとつの到達点であり、
鉄路の境界を越える象徴でもあった。
一方で、新幹線は交流電化の理想そのものだ。
長大な路線を、簡素な設備の上を、16両の巨体が320km/hで駆け抜ける。
その姿は、交流という方式が本来目指していた未来を体現している。
しかし新幹線の発展は、在来線の交流幹線に問いを突きつけた。
「交流である必要は、まだあるのか」と。
実際、米原〜敦賀のように直流へ切り替える区間まで現れた。
そう思うと、485系が走り抜けてきた交流と直流の境界は、
まるで鉄道そのものが抱える“変電所”のようにも見えてくる。
技術と歴史、理想と現実が交差する場所――
私はそんなふうに呼びたくなるのだ。
北陸新幹線敦賀延伸とその後も気になる
呪文
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