盆栽 その❹
「山から松を拾ってくれば、数億円のJapaneseドリームになるんじゃないか?」
そんな無邪気な冗談から見えてきたのは、日本という国が持つ、
少し特異で、果てしなくロマンチックな文化の形だった。
数千万円、時には数億円という価値がつくこともある盆栽。
しかし、その値段は決して「珍しい木だから」つくわけではない。
何代にもわたって、毎日水をやり、ミリ単位で枝を整え、
日差しや風に気を配り続けた「途方もない時間と愛情の蓄積」
に対して支払われる敬意なのだ。
世界を見渡せば、何百年も残る歴史的芸術品はたくさんある。
しかし、その多くは王侯貴族のコレクションであったり、
国家プロジェクトとして保護されてきたものだ。
一方で日本の盆栽はどうだろう。もちろん名品と呼ばれるものはあるが、
その文化の裾野を支えているのは、庭先や縁側でチョキチョキと鋏を入れる
「普通のお爺ちゃん」たちである。
彼らは知っている。自分がどれだけ丹精込めて手入れをしても、
この木の「完成」を自分の目で見届けることは絶対にできないということを。
自分の寿命よりもはるかに長く生きる命。
自分はその長い樹木の歴史の中の、ほんの一時を預かる「管理人」にすぎない。
だからこそ、少しでも良い状態で次の世代へバトンを渡すために、
今日も黙々とハサミを握る。
それを、ごく普通の人々が、当たり前のように、
しかも趣味として楽しんでやってきたのだ。
これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぼう。
一獲千金を狙った山採りの松が数億円に化けることはない。
けれど、親から子へ、子から孫へと、
何気ない日常の中で愛情が手渡されていく過程そのものが、
実は一番の「Japaneseドリーム」なのかもしれない。
「お爺ちゃんのご機嫌をとって、弟子入りさせてもらおうかな」
そんな軽いノリで始まる継承も、案外悪くない。そうやってまた一つ、
日本の不思議で愛おしいバトンが、次の世代へと繋がっていくのだから。
呪文
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