【歴史:『1066年10月14日、センラックの丘を登るノルマン騎兵』】
彼らの視線の先にいるのは、色鮮やかな軍旗を掲げた騎兵の大部隊。槍と盾の列が波のように迫ってきます。
これは1066年10月14日、ブリテン島南部のヘースティングズにおいて見られたであろう光景です。
9月28日、ドーヴァー海峡を越えてノルマンディー公ギョームがブリテン島に侵攻し、これをイングランド王ハロルド・ゴドウィンソンがヘースティングズで迎え撃ちました。
実はハロルド・ゴドウィンソンとその軍約8,000名はほぼ全員が歩兵であり、この少し前の9月25日に北部スタンフォードブリッジでノルウェー王ハーラルを破ったばかりで、約300kmを南下してきたところなので、もはやヘロヘロの状態です。
これに対しギョームの軍は約7,500名で、重装騎兵2,000、歩兵4,000、弓兵など1,500とバランスのよい編制でした。
午前9時、丘上に陣取ったハロルド軍は盾を重ねた密集隊形「盾の壁」を組み、自身と家臣を中央に配置。中央に自軍、左翼にブルターニュ兵、右翼にフレマン兵を置き、弓兵・歩兵・騎兵を組み合わせたギョームの攻撃を待ち構えます。
戦闘はノルマン軍の射撃で始まりましたが、斜面上のイングランド軍にはほとんど効果がありません。歩兵の突撃も押し返され、疲れ切った兵たちが驚くほどの粘りを見せます。
そしてノルマン騎兵。
彼らは戦闘序盤から何度も何度も騎兵が坂を駆け上がる。しかし、馬は傾斜で勢いを失い、槍は盾の壁に阻まれる。――まさに、この瞬間を描いたのがイラストです。
しかし「盾の壁」は厚く、馬は坂で速度を失い、押し返されてしまいます。騎兵と歩兵の連続攻撃でも突破はできず、戦況は膠着しました。
そうしたなか、ブルターニュ兵の左翼が後退した際、混乱のなかでギョーム戦死の噂が広がってしまいます。
攻めあぐねるなかでの指導者死亡ともなれば、軍の崩壊すら危ぶまれる状況。ここに至り、ギョームは自ら兜を脱いで陣中を駆け回り健在を示しました。
一方ノルマンディ軍の動揺を見て取ったイングランド軍は、ここを勝負どころとみて追撃に出ます。
が、そのためこれまでがちがちに固めていた隊列が乱れました。その隙を突いてギョームは側面を騎兵で攻撃したことで盾の壁が崩れてしまいます。ハロルド王は戦死し、勝負は決しました。
こうしてイングランド王位はノルマンディー公ギョーム、すなわちイングランド王ウィリアム1世の手に渡ることになります。後世、ノルマン・コンクエストと呼ばれるノルマン朝の幕開けとなった歴史的エポックです。
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●ノルマン騎兵とハスカールの姿は『バイユーのタペストリー』という当時を描いた第一級史料に基づき、AIさんが再現しています。膝まで隠れるほど長い鎖鎧と円錐形の兜、凧のような形状の大きなカイトシールドを身につけ、槍は突撃や投擲に使い分けられ剣の他に弓、棍棒も用いられた。
●ノルマンディー公国はもともとロロというノール人の首長が西フランクの王様から領土を与えられて成立した国で、本来はヴァイキングの国です。彼らは、フランク世界に定住すると騎兵戦術を積極的に取り入れました。やがて槍を脇に抱えて突撃する重装騎兵として西ヨーロッパ屈指の軍事力を築きます。
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