堕天
遠くからでも響き渡るポレノフィアの咆哮は、私の中に眠る死のイメージを喚起させ、恐怖と絶望を呼び起こす。
脳裏によぎるのは、虫けらのように巨体に叩き潰される父の姿と、息ができずに苦悶の表情を浮かべながら死んでいった母の姿。
「い、いやだ、死にたくない……」
そうだ。ナターシャだ。彼女なら、あの悪魔が相手でもなんとかしてくれるに違いない。
意識を集中し、彼女に波長を合わせてコンタクトを取る。
(ナターシャ!助けて、エルフェアルが、私を殺しに来てるの!)
(エルフェアルが……?助けにじゃなくて殺しにってのはどういうことだい?)
(あ、悪魔が、悪魔が来ているの……。何もかもを殺しつくす悪魔が……!!)
無意識化に、少しでも恐怖の根源から距離を取ろうと後ろに下がり続けていた私の後頭部に、やわらかい感触が触れた。
慌てて後ろを確かめると、そこにはエルフェアルの兵士を皆殺しにした怪物、ナターシャが実験体36号と読んでいた異形の姿があった。
けど、いまの柔らかい感触って……。
意識がそのふくよかな双丘に向かっている間に、顔のない怪異は、触手を一本掲げた。
エルフェアルの獣人たちが刺し貫かれた場面が脳裏にフラッシュバックし、身体が強張る。
しかし、次の瞬間おとずれた感触は、脳裏の光景とは違い、触手でぽて、と頭を軽く叩かれただけだった。
そして、怪異はその触手で私を包み込むと、ぎゅっと抱きしめてくれた。
私の顔を、先ほどのやわらかい感触が包み込む。
時間にしてほんのわずかのできごとだったが、私にはとても長い安らぎに思えた。
(少しは落ち着いたかい?)
ナターシャの声が届いた。
不思議と、先ほどまでの恐怖は消え去っていた。
(で、その悪魔ってのはなんなんだい?)
私は、ポレノフィアについて簡潔にナターシャに伝えた。
(致死量の花粉をばらまきながら歩く樹木ねぇ……。花粉は亡者どもには効かないけど、始末するには有効打に欠けるところだね。
うーん、私が行くまで間に合いそうにないね。さっさと逃げちゃいなさいな)
逃げる……?私に、これ以上逃げろというの……?
(逃げるって、どこに……?)
(このグランゼンだけじゃなくて、あちこちで戦争が始まってるみたいなのよねぇ。48号に乗って、空に逃げるのがいいかしら)
ナターシャがそう告げると、黒竜に人が埋め込まれた怪異が空より舞い降りた。その異形の人型は、掴まるようにと促すかのごとく、私に手を差し伸べた。
黒竜ということは、そうか。あの時トレントを倒したのはこの怪異……。
トレントの残骸は腐り落ちていた。おそらく、腐敗のブレスだろう。
(ねぇ、ナターシャ。私にも、この子たちを操れるって言ったわよね……?)
(ええ、そうよ。だから、はやくソイツに乗って逃げなさいな)
(わかったわ。でも……)
異形の人型の腕を取り、意識の波長を同調させる。
そのまま、触手で私の身体をしっかりと固定させる。
黒竜に亡者。そして、腐敗の力。
あの悪魔を、しとめる手立てはある!
(私は、ここで逃げるわけにはいかないの。あの悪魔は、過去の私が抱いた恐怖の源!ここで恐怖を打ち砕かない限り、私は先に進むことはできないの!)
(はぁ!?なにをいってんのよこのバカエル……)
ナターシャの話を最後まで聞かずに、意識をこのクラウデンブルクの亡者に向ける。
ポレノフィアを構成する樹木は魔法で強化されているため、ナターシャがいう通り、確かに決定打としてはかける。
戦力の逐次投入はただいたずらに被害を増やすだけだ。
ポレノフィアの生命力に反応して向かっていく亡者たちを街の入口まで退避させる。
そして、異形の黒竜に空高く飛ぶように命じる。
一瞬の浮遊感を感じた直後、私の身体は突風に晒された。
あまりの速度に、意識を手放しそうになりながらも、唇をかみしめ、大気に漂うマナを取り込んでいく。
まずは、ポレノフィアの足を止める必要がある。
集めたマナを破壊のイメージに練り上げていく。
脳裏に、クラウデンブルクを破壊した時の悲鳴がよぎる。
危うくマナを手放しかけるが、頭を振り、覚悟を決める。
これは、彼女と契約を交わしたこの私が、その隣に立つための『試練』だ。過去は、恐怖は、打ち砕かなくてはならない!
「我、地を穿ち切り裂かんと欲すれば、汝に深淵の怒りを逃れる術もなし、アースクエイク!」
解き放たれた破壊の本流が、ポレノフィアの足元から、岩の槍となって、地面に縫い留める。
その隙に、黒竜をポレノフィアの頭上まで飛翔させ、腐敗のブレスを放つように命じる。
黒竜が首を後ろに引くと、顎に負のマナが収束していく。
そして、漆黒の死の吐息が解き放たれた。
ポレノフィアの頭上の生い茂った緑が、腐臭をあげながら、泡立ち腐れ落ちていく。
「グオォォォォォォォォォン!」
先ほどと同様の咆哮だが、今の私には恐怖はなかった。
しかし、ポレノフィアの身体はあまりにも巨体すぎる。
さらに、高濃度で散布されている花粉が、マナを遮断・減衰させ、黒竜のブレスでも頭頂部を溶かすのが精々だった。
だが、これでいい。
ポレノフィアは人為的に作られた兵器だ。
トレントとは違い、精霊ではないのだ。
ゆえに、命令を制御し、また巨体を動かすための動力となるコアがある。
今の一撃で、花粉の主な発生源は破壊することができた。
あとは、接近してコアを破壊するのみ。
そのために、最後の仕上げにかかる。
入口にとどめていた亡者を解き放ち、一斉にポレノフィアに向かわせる。
そして、黒竜に命令を伝え、身体を固定していた触手を解放する。
父さん、母さん、今敵を討つよ……。
そして私は、過去との決別のために、黒竜の背から飛び降りた。
急速に落下していく夜の闇を、花粉で目と鼻がぐしゃぐしゃになりながらも、しかとポレノフィアを見つめる。
to be continued…
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樹木の悪魔 ポレノフィア | シトラス🍋
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前回に引き続き、シトラスさんのポレノフィアとの戦闘を書かせていただいています。
(終わらせるつもりだったのですが、ストーリーが書き終わらなかったので次回で決着です。)
呪文
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