6月29日は長篠の戦いの日
この日の『長篠の戦い』は、織田・徳川連合軍の鉄砲隊と武田軍の騎馬隊が激突した一大決戦として有名です。
残念ながらその答案では65点です(え
確かに織田・徳川と武田の激突という点は間違っていません。
しかし本来の目的――武田軍に包囲された長篠城の救援という点に着目すると、長篠の戦いの流れはかなり変わってきます。
最初のきっかけは長篠城が徳川氏に帰順したことでした。
城主・奥平貞昌(信昌)は武田信玄の死を契機に武田氏から離反しますが、それを理由に跡継ぎの勝頼から侵攻を受けます。
大軍に包囲された長篠城は危機に陥りますが、文字通り命と引き換えに伝令の任を全うした足軽の鳥居強右衛門によって織田・徳川連合軍の救援部隊30000が到着することを知らされて長篠城の士気が高まり、持ちこたえ続けました。
信長がこの合戦に用いた切り札は3000丁の鉄砲と野戦築城。
合戦に未参加の諸将からも供出させて用意したその数は一度の合戦の投入数としては前代未聞であり、野戦築城は宣教師から聞いたイタリア戦役を参考に構築したとされ、双方を組み合わせた布陣は武田軍にとっては完全に未知の戦法でした。
勝頼は3000の兵を長篠城の包囲に残し、12000の軍で織田・徳川連合軍と対峙することを決めます。
しかしその決戦前夜、密かに織田・徳川連合軍から出陣した別動隊が存在しました。
信長は家康の重臣であった酒井忠次と自身の配下である金森長近に精鋭部隊を預け、主戦場を迂回して長篠城の包囲部隊を撃破する奇襲作戦を命じていたのです。
武田軍も事態に備えて数か所の砦を築いていましたが、両名率いる別動隊は夜明けと同時の奇襲によって短時間のうちに全て陥落させてしまいました。
この時点で第一目標であった長篠城の救援は、主戦場での本格的な開戦を待たずして成功。
迅速な救援活動のおかげで余力を残したままだった長篠城の奥平勢はそのまま酒井・金森の別働隊と合流して武田軍の背後へと回り込みます。
挟み撃ちとなった武田軍は合戦どころではなくなりました。
山県昌景や馬場信春と言った武田軍の猛将が織田軍の防柵を突破する猛攻を見せながらも勝頼の本陣が脅かされる事態となり、速やかな撤退が求められる事となりました。
撤退の開始によって戦線が乱れて敵陣に孤立した武田軍の武将は多くが討ち取られる事態となり、勝頼は命からがら脱出。
再起不能とは言わないまでも武田氏は大きな損害を被る形で敗北することになりました。
この戦いの後、信長は戦の功労者である酒井忠次を大絶賛。
「いやーそなたマジスゲーわ。背中に目でもついてんの?」
と信長が褒めたたえると、
「はて? 戦う相手に背を向けた事がないので分かりません」
と忠次はあっけらかんと答えたそうです。
「こやつめハハハ」と信長が笑ったかは知りませんが、信長が忠次を『徳川の片腕』として評価していたことが伝わります。
なお長篠の戦いが創作界隈などで題材になる場合、残念ながら酒井忠次と金森長近の大活躍は殆ど描かれません( ;ω;)
鉄砲隊と騎馬隊の激突という主戦場の方が圧倒的に華があるので仕方ないのではありますが……。
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