秘密のレインコート
濡れた石畳に静かに立ち尽くすその姿は、まるで彫刻のようだった。けれど――なにか、違和感。
「華蓮さん?」
声をかけても振り向かない。レインコートのフードを深くかぶって、顔もほとんど見えない。
「具合、悪いの?」
怜花が心配して近づくと、華蓮はやや硬い動きで小さく頷いた。
「問題ありません。少し……事情がありまして」
「じ、事情……?」
怜花が首を傾げると、ふいにフードの中から――「みゃっ」と、小さな声。
「……えっ?」
怜花が覗き込もうとすると、華蓮はフードを両手でギュッと押さえた。
「見ないでください。まだ、非公式です」
「非公式って、なにが!?」
「猫です」
即答だった。
驚いて数秒固まった怜花の前で、華蓮は静かに説明を始めた。
「帰り道、用水路のところでずぶ濡れの子猫を見つけました。放っておけなくて……一時的に、レインコート内で保護しています」
「いや、でも、それって――」
「正式な手続きはこれからです。まずは、命の確保を優先しました」
冷静かつ堂々とした物言いに、怜花はつい笑ってしまった。
「……華蓮さんって、そういうところあるわね」
「どのような“そういう”ですか?」
「理屈っぽいのに、すごく……やさしいところ」
華蓮は少しだけ沈黙してから、小さく肩をすくめた。
「……私の服の中、あたたかいみたいです」
「うん。そうね」
ふたりの間に静かな雨音が降る。フードのなかで、小さな命がくるんと丸まって眠っていた。
怜花はそっと自分のレインコートを脱ぎ、華蓮の肩にかけてあげた。
「じゃあ先生と“非公式で共同保護”ってことで」
「それは……ずいぶん曖昧な公式ですね」
「先生だから許される“特権的公式”ってことで、どう?」
華蓮は小さく吹き出した。
雨音が少しだけ軽くなる。ふたりの肩を包むレインコートに、小さな秘密と、ぬくもりがひとつ、そっと宿っていた。
呪文
入力なし