Ms. Sabre-toothed Tiger
そう呟くように言って、彼女は無造作に手にしたライフルの銃身を握り潰した。
無論、ライフルとは言っても実際は名ばかりの粗悪な代物だ。まともな工作機械もなければ、それを製造する技術者も、それを作り出すための原材料もない。
ないない尽くしの中で、何とか鉄パイプやら何やらを組み合わせ、装填した火薬に点火して鉛玉を撃ち出す。機構的にも威力の面から言っても、およそ人類史に銃が登場したばかりの代物と大差はないだろう。
――しかし。
しかし、だ。そうと頭でわかっていたとしても、だからと言って、銃口を向けられて平気でいられるものだろうか。当たっても、運悪く急所に直撃でもしなければ死ぬ可能性は低いからと言って、だから平然と銃口を掴んで狙いを逸らせるものだろうか。
その答えは極めて単純明快だ。
――彼女は、まともではない。
遺伝子工学と生物工学。今や人類の手からは遠く離れてしまった叡知の一端を受け継ぐ研究者であり、その技術の一端を自らの体で試すマッドサイエンティストでもある。
終末事変によって、人類が営々と築き上げてきた高度な文明社会は滅んだ。滅んでしまった。そして、もし黄昏梟の理念によって文明の再興が叶ったとして。
――果たして、一度起きたことが二度繰り返されないという保証はどこにある?
で、あるならば。
例え文明が滅んでも、なお人類が生き延びられるように。文明が消え去った原始の世界においても、人類の知性を受け継ぐ生物がいつの日か再び新たな文明の火を灯せるように。
獣の遺伝子を人類の体に組み込み、その生命力、膂力、敏捷性、等々を底上げした新たな人類種を。
そんな、途方もない夢を追い求めている。
真っ当な人間が聞けば夢物語と嗤うだろう。誇大妄想にも程があると嘲り笑うだろう。
しかし、人間の知性と狂気は並立し得る。人間の理性と獣の野生が同居し得るように。
ゆえに、彼女の通り名は『ミズ・サーベルタイガー』である。かつて絶滅した古の獣と、一度は滅びに瀕した人類の黄昏を、その身に体現する女。
そして、そんな獣に狙われた人間の末路は、決して生易しくはない。
「さて、と」
そう呟いて、彼女は無造作に男の胸倉を摑み上げた。そのまま片手で男の体を宙へ吊り上げる。まるで猫のように軽々と、だ。荒事に慣れた大柄な男の身長も体重も、明らかに彼女を上回っているにもかかわらず。
「ぐ……がッ」
「ああ、悪いね。少し手荒な真似をしてしまったかな? しかしまあ、君のような知性も理性もない下賤の輩に私の時間を割くのは勿体なくてねえ」
そう言って嗤ってから、彼女は男の鳩尾に拳を叩き込んだ。そして、そのまま男を地面へ投げ捨てる。
男は受け身も取れず地面に叩き付けられて咳き込んだが、ミズ・サーベルタイガーはその様を冷たく見下ろして言った。
「さあて……どうするね? もうしばらく私と遊んでいってくれるかい? それとも……」
そこで一度言葉を切って、サングラス越しに黄金に輝く双眸で周囲を威圧する。
体にピッタリと張り付くような黒いボディスーツは、その下にある発達した野性的な筋肉美を浮き彫りにしている。その様は、まるで黒い豹だ。彼女を外見上から研究者たらしめているのは、その上に羽織る白衣のみだろう。
「それとも……この私と戦うかね? まあ……」
そこで一度言葉を切ると、彼女は再び無造作に男の胸倉を掴んで強引に立たせた。そして――
「私はどちらでも構わんが」
そう呟いてから、彼女はそのまま男を片手で持ち上げて壁へと叩き付けた。そして、さらにもう一度同じ動作を繰り返す。男が意識を失って動かなくなるまで。
そして、そんな光景に恐れを為したか、残った四人の男達は我先にと逃げ出してしまった。
「ふん」
そんな彼らの背中を鼻で笑って見送ると、ミズ・サーベルタイガーはそのサングラスの位置を直しながら呟いた。
「やれやれ……仮にも仲間を見捨てて逃げ出すとはね。本当に下賤な輩だねえ」
そう言って肩を竦めながら、彼女は自分の足下に転がる男を見下ろす。どうやら完全に意識を刈り取られたようだ。これでもう邪魔が入ることはないだろう。
「まあ、これで連中が無駄なトラブルを起こして周囲に迷惑をかけることもなくなるだろう」
路地裏にたむろしては、通りかかった人間に因縁をつけ物資やら何やらを強奪する小悪党ども。自分達より弱い者にしか強く出れず、弱者を食い物にすることでしか自分の力を誇示できないカス共。二本足で歩く人面獣心のケダモノ共。
まさに、存在そのものが害悪だ。そんな連中がのさばっているから、この街はいつまで経っても治安が回復しないのだ。
黄昏梟において探索を担う『エクスプローラ』である彼女は、その探索を邪魔してくる可能性がある不安要素を丁寧に取り除いていく。
人間のように着実に、計画的に。獣のように獰猛に、執念深く。
「さて、次はどこを掃除しようかな?」
そう呟きつつ、彼女は踵を返して路地裏を後にするのだった。
呪文
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