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蒯徹其二

使用したAI Dalle
漢三年から四年にかけて、陳平も張子房も、それ以上に漢王劉邦麾下の漢軍主力そのものが、蒯徹どころではなくなったのである。

まず、劉邦以下漢首脳陣の大半と、野戦軍主力が立てこもる滎陽城そのものが落城の危機に瀕してしまった。

稀代の天才戦略家、張子房が立案した漢軍の反転攻勢戦略は、劉邦とその主力が滎陽に項羽と楚の野戦軍主力を引き付けて時間を稼ぎ、その間に韓信と張耳、曹参らが率いる北伐軍が河北を平定する...というものである。

更に梁の地で彭越、江南で英布がそれぞれ遊撃軍として活動し、楚軍の後背と補給線を圧迫するという多面的な展開を想定していた。

しかし、その大戦略の一翼を担う筈の九江王英布があっさりと項羽麾下の龍且に敗れてしまい、楚軍を後背からけん制する力の一つが消失してしまい、漢軍としては当初の想定よりも多数の楚軍を滎陽に引き受ける羽目になっていたのである。

特に、項羽の参謀で亜父とも尊称される范増が提唱した、滎陽と食糧庫である敖倉を繋ぐ甬道に対して集中攻撃をかける戦術は大いに漢軍を悩ませた。

滎陽城そのものの防御力は、張子房と陳平が全知能を傾けて強化しただけに極めて堅牢ではあったが、籠城戦とは補給路を断たれてしまえば結局餓死するか、その前に降伏するしかなくなるのである。

そこで陳平が離間の計を用いて、項羽と范増の間に疑心暗鬼を生じさせ、遂には范増を失脚させ、更には死に追いやることには成功した。

成功はした...のであるが、問題はその後であった。

項羽という男は、猜疑心が強く傲慢でもあるが、決して馬鹿ではない。

范増に去られ、更には死なれて初めて、項羽は陳平の離間の計にしてやられたことに気づいたのであった。

結果、項羽は范増が生前主張していた甬道に対する集中攻撃戦術の有用性を改めて再認識し、麾下の兵力約二十万の全力を叩きつけてきたのであった。

守城側は一定兵力差を埋められるとは言え、滎陽に立てこもる漢軍主力は五万に満たない。

楚軍の兵力差にものを言わせた攻撃に間断なくさらされた漢軍は、奮戦虚しく遂に甬道を守り切れず、滎陽は完全に補給線を絶たれて楚軍の包囲下に陥ってしまったのだった。

...

その後の劉邦の動きは、誠に目まぐるしい。文字通り、東奔西走する羽目になった。

まず楚軍の重囲下にある滎陽を脱出せねばならなかった。

張子房が立てた次なる戦略は、劉邦と籠城軍の半分が滎陽を脱出することである。これには大きく二つの意味があった。

補給線を絶たれてしまった以上、劉邦自身がここに立て籠もって項羽を引き付け、滎陽で時間稼ぎをする戦略は、一度ここで捨てねばならぬ。

肝心の漢王劉邦がそこにいたのでは、滎陽の食料備蓄が尽きるイコール劉邦の最後、即ち漢の滅亡と同義になってしまう。

劉邦は約二万の兵と共に滎陽を脱出し、一度函谷関の中に引き返して、丞相蕭何がある程度は用意しているであろう増援の兵と合流し、軍の再構築を図り、しかる後に再度関東に反転して楚軍と戦う...。

しかし一方で、滎陽を放棄する訳にもいかないのである。

糧道が断たれたとはいえ、滎陽の固い防御力はなお健在であり、ここに楚軍を足止めしておくことの戦略的重要性は不変なのだ。

二つ目の意味は、戦術的な困難は覚悟の上で籠城軍の兵数を半分に減らし、食料の消費量を減らす事であった。

元々、漢軍の兵数は五万に満たぬ訳で、その兵数が更に半分に減るとなれば、ある程度は落城も覚悟せねばならない...

しかし、滎陽を捨てる訳にはいかない。

仮に全軍を以て滎陽を脱出しても、滎陽がこの場で失われてしまえば楚軍全軍による追撃を受けて漢軍が壊滅するだけの事であろう。

そうはならずとも、少なくとも滎陽の後背に位置する成皋から洛陽迄の都市群を悉く落とされ、漢は函谷関の東の全域を失陥する事になってしまう。

...

しかし、この戦略を立案した子房には、その戦術的困難に対しても一定の目算があった。

項羽の目的は劉邦本人であって、滎陽の城ではない。

その劉邦が脱出した後の滎陽城に、項羽が執着する理由がない。

かと言って、漢軍が尚も立て籠もる滎陽城を放置して更に西進できるか、と言えばこれも困難である。滎陽の漢軍に後背を突かれる危険性が残るからだ。

仮に范増が今尚、楚軍の帷幄にいたとすれば、例え劉邦が函谷関の中に逃げ込んでしまったとしても、滎陽から成皋、更に洛陽と続く関東の諸城塞を地道に一つずつ潰していくかもしれぬが、項羽にはその手の「根気」「地道さ」がない。

陳平が、楚軍の作戦中枢から范増を葬り去った布石が、ここで生きてくるのである。

滎陽に二万の兵しか残らぬとしても最低限、劉邦が関中に取って返して増援軍と合流し、再度滎陽に反転してくるまでの時間稼ぎは理論上不可能ではない。

子房には、そこまでの計算があった。

...


「問題は、滎陽に残る将の人選ですな...」

子房から、その戦略の概略を聞かされた陳平は言った。

「左様...有体に言ってしまえば、この任は最初から半ば死が確定しているような任務とも言えます。確かに、大王が去った後の滎陽に対して、項羽は執着心を失う可能性が高い...とは言え、確信をもってそう断言することは出来ません」

子房も、そこはわかっている。

滎陽城は、ある意味では劉邦の時間稼ぎの為の「捨て石」なのだ。そうならざるを得ない。

その守城の大将とは、最初から死を事を覚悟して、その任に当たることが出来る者でなくてはならぬ。

まず、その大将には漢という国家...という以上に漢王劉邦個人への鉄壁の忠誠心がなくてはならない。

更には、寡兵を以て百万の敵兵をも恐れぬ勇猛さがなくてはならず、更には軍事的にも有能である必要がある。

楚軍二十万と項羽を前にして心が折れるような惰弱者を選んだ日には、劉邦が脱出した後に即座に態度を翻して、白旗を掲げて項羽に叩頭してしまうだろう。

そうなっては結局、そこで漢は終わりである。

(...忠誠心という点では、まず沛以来の人間しかおるまい...三公級の大物としては太尉盧綰、御史大夫周苛...大王の親族としては、游殿(※王弟劉交)と劉賈殿もおられるが...この任の大将としては、まだ「格」が足りぬか...将軍としては夏侯嬰、樊噲、周勃...この辺りから選ぶしかない)

陳平は、思考を巡らせた。

(...俺なりに、人選の案はある...ある、が...この場合)

「...子房殿...これは大王に決めていただくしかございますまい」

陳平が、実際に口にした言葉はそれだけであった。

「...相変わらず、陳平殿には"全て"わかっておられるようですな...その通りです。こればかりは大王に決めて頂くしかありませぬ」

子房も、陳平に賛意を示した。

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