4月25日は壇ノ浦の戦いの日
この日行われた壇ノ浦の戦いが『平家滅亡』とされています。
なお『平家滅亡』や『落人伝説』と言った単語から一族が根絶やしにされた印象を受けますが、実際にこの戦いで滅亡したのはあくまで平清盛の一族とその家人のみである点には注意が必要です。
そもそも平清盛は桓武平氏の中では庶流に位置しており、本家筋は『坂東八平氏』と呼ばれる関東に土着した士族です。
その中には梶原景時・三浦義村・千葉常胤といった源頼朝に加勢した有名御家人も数多く存在し、一般的に呼ばれる『源平合戦』という言葉とも大分異なる対決構図なのが実情です。
ちなみに平清盛の弟である平頼盛は平家の都落ちの後でも堂々と京都に居座って源頼朝への支持を表明しており、そのまま後世まで血筋を残しています。
この壇ノ浦の戦いで結果的に一番の貧乏クジを引いたのは、即位したばかりの後鳥羽天皇でした。
幼少の安徳天皇と共に海中に沈んだ草薙剣は最後まで発見されず、草薙剣を欠いた状態のまま皇位継承となりました。
事あるごとに「不完全な皇位継承だったから……」と陰口を叩かれる羽目になった後鳥羽天皇は多いにコンプレックスを抱いたとされ、後の承久の乱を起こすきっかけの一つになったとも言われます。
また草薙剣の喪失をきっかけに刀の錬成に大いに興味を持ったと言われ、後鳥羽天皇の指揮で多くの刀が鍛刀されました。
後鳥羽天皇自身も焼刃を入れ、十六弁の菊紋を刻んでいます。
皇室を象徴する『菊の御紋』は、ここから始まりました。
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