理不尽なベーグル釣り
・ベーグルを釣る:食べ物を魚のように扱う非日常的な発想。食材と日常行為の組み合わせが意図的にズレています。
・棘の生えたベーグルが喋る:本来無機物であるパンが凶悪な意志を持ち、人間と対等に会話する異常さ。シュールさと恐怖が混ざる「食べ物モンスター化」的要素。
・会話の理不尽さ:ベーグルの言葉は論理的な展開を阻害し、読者を混乱させます。これは「理解不能なキャラが支配する世界」を笑いとして楽しむ典型的な不条理漫画の手法です。
・コマ割りの工夫:毎回パターンを変えることで「読者が物語の流れを予測できない」状態を作り、不条理感を強めています。
総合すると、これは「日常の行為が異常な存在(喋る凶悪ベーグル)によって崩壊する過程を楽しむ」シュール系同人ギャグ漫画と解釈できます。
1. 主体と客体の転倒
通常、人間は「食べ物を主体的に消費する存在」であり、食材は「客体」です。
しかし、この漫画では ベーグルが言葉を発し、意志を持つ ことで、主体と客体の関係が反転します。
・人間が釣り上げたつもりのベーグルに、逆に「存在を脅かされる」
・食べられるはずの食材が「語りかけ、支配する」
これは哲学的にいうと 人間中心主義の揺らぎ であり、「人間は本当に世界の主人公なのか?」という問いを突きつけています。
2. 食と暴力の両義性
食べるとは、他の生命や物質を「殺し・取り込み・同化する」行為です。
・ベーグルが「棘を持つ」ことは、その暴力性の逆照射。
・普段は従順な「食べ物」が凶悪な牙をむくことで、日常に潜む暴力性を露わにしています。
ここには、ミシェル・セールやレヴィ=ストロース的な「食の構造人類学」を連想させる要素があります。
3. 不条理=存在の裂け目
少女にとって「ベーグルを釣る」という行為は一見牧歌的ですが、
実際には 世界の根本的な秩序のズレ を露呈しています。
・「魚」ではなく「ベーグル」を釣る → 文化的秩序の混乱
・「無機物」が「語る」 → 存在論的な境界の崩壊
これはカミュ的な意味での「不条理」そのものであり、
人間が世界を理解しようとする試みが、常に異物によって破綻することを示しています。
4. 読者への転倒体験
読者自身もまた、この漫画を読むことで 自分が主体ではなく客体にされる 体験をします。
・ストーリーを「理解する」ことが拒まれ、解釈不能な会話に振り回される
・笑うしかない、混乱するしかない
つまり読者は少女と同じ立場に立たされ、
「世界は合理的に整理できるものではない」という哲学的体験をするのです。
まとめ
このシリーズは単なる不条理ギャグであると同時に、
・人間と食べ物の逆転
・主体と客体の揺らぎ
・暴力と日常の二重性
を露わにする「食の哲学的寓話」だといえます。
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