オプカムル事件(パトロフの戦いを改題)
廿五年条
研究所より奏上あり、隔離施設の収容数を超過。
御寝所からの戦時避難用隧道を臨時の収容施設とする。
夏、地震あり、研究所の被害甚だしく、城内外に実験体が流出
碧輝石、遮蔽函もろとも逸失す。
オプカムル王 崩ず。
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パトロフの年代記によると、碧輝石と呼ばれる、遮蔽函に収められた宝物があった。
それを管理していたのが、生物かまたは医療の研究所というふうに読める。
収容数が超過ということは、研究は成果はともかく大規模に行われていたらしい。
オプカムル王25年の地震は、ほかにも資料があって史実だと裏付けできている。
その地震とともにパトロフの王室は滅びた。
流出した実験体は、「御寝所」に入って真っ先にオプカムル王に襲い掛かったらしい。
それと同時に、隧道の反対側──墓所からあふれ出して市内に、そしてあるいは野に出て行った。
パトロフの街そのものは現在も存続しており、その昔話には
尾ひれをどっさり付けた大げさな話がたくさんあるのだが
もしかしたら、尾ひれなど付いてない凄惨な史実だったのかもしれない。
このパトロフの昔話には、碧輝石とかアーク石と呼ばれる宝物は出てこない。
いまでも、この遮蔽函に入った妖しい物質は行方不明で
魔物と呼ばれるものを、この南エルナードのどこかで産み出し続けているのかもしれない。
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今回の発掘調査では、オプカムル王の生物研究所の実在を確認できた。
オプカムル王25年の周辺年代における怪異を裏付ける重要な発見であり、
ここから離れた土地や時代に於いても今後の研究で関連づけることができるだろう。
呪文
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