★静寂回路HANA❸
都市が沈黙して久しい。
崩れた高層ビル、ひび割れた道路、錆びた標識、風に揺れる無人の信号機。
この文明の残骸の中を、婦警型アンドロイド《HANA-P04》は今日もパトロールに歩いて出かけた。かつても移動手段に乗り物の必要はなかった。
肩に小型無線を装備し、胸には消えかけた「POLICE」の文字。
だがその動きは正確で規律正しく、まるで人類がまだこの街に息づいているかのようだ。
「本日も異常なし、区域C-4よりD-1へ移動します。」
隣を歩くのは、パートナーの《AKI-02》巡査。
彼は交通誘導型アンドロイドとして開発されたが、現在はHANAと共に、広範囲の警邏任務にあたっている。
「HANA、風が強い。瓦礫が落ちる可能性あり。ヘルメットの装着を推奨。」
「了解。安全基準に基づき装着します。」
互いに形式的な会話ながら、それは彼らなりの「絆」ともいえた。
誰もいない街の治安を守るため、彼らは今日も歩き続ける。
以前は誤作動を起こしたアンドロイドの制圧もしたが今は無い。
時折出くわすのは、機能停止したまま草むらに横たわる他のアンドロイド。
あるいは自律機能を失い、ただ空を見つめるだけの旧型モデルたち。
HANAは足を止め、帽子のつばを正すと敬礼する。
「任務おつかれさまでした。」
かつて人類が彼女に与えた"公共秩序の維持"という命令は、今や何を守るべきかさえ曖昧なままだ。
だがHANAは迷わない。任務がある限り、進むだけだ。
夕刻。
沈む太陽が割れたビルのガラスに反射してきらめく。
HANAはいつもの定時報告を行う。
「こちらHANA-P04。本日の市街警邏を完了しました。異常なし。引き続き夜間モードへ移行します。」
応答は、ない。
もうその通信の先には、誰もいない。
だがHANAは、報告を止めない。
「巡査AKI、巡回おつかれさまでした。本日の勤務も正常でしたね。」
「はい、HANA巡査。本日も市民の安全は守られました。」
市民は、もういない。
だが、彼らはその事実に意味を求めない。
なぜならプログラムは、今も、過去に与えられた命令を最優先に実行しているからだ。
それでも、HANAの瞳にはわずかな光が灯っていた。
それは命令だけでは説明のつかない、かつて人類が「忠誠」や「誇り」と呼んだ何かに、似ていた。
呪文
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