猫の喫茶店その❹
一つの確信が浮かび上がる。
猫は、ただ「そこにいる」ものなのだ。
対して犬は、その「居場所」を時代とともに大きく変えてきた。
遠い記憶のなかの、昭和の庭先。そこには、
決まって「番犬」と呼ばれる犬がいた。
その吠える声は、静かな日本の生活の、ごく当たり前の一部だった。
だが彼らは、つねに鎖につながれていた。
その鎖の長さが、彼らの自由の限界。どこかへ行きたくても、
逃げ出さないように縛られていた。
では、猫はどうだったか。
もし、庭先の鎖に繋がれて「にゃあにゃあ」と鳴いている猫がいたら、
それは間違いなく、近所を騒然とさせる一大ニュースだ。
猫は、その本性として、自由気ままに外の世界を闊歩し、
気が向いたらふらりと帰ってくる。
縛られることのない、流浪の魂をもつ生き物だった。
時代は流れ、令和の世となった。
庭で吠え、家を守る犬の姿は、私たちの日常からほとんど姿を消した。
それどころか、「散歩が面倒だから」という、少し寂しい理由で、
家の中だけでその一生を終える犬も増えたと聞く。
そして猫もまた、その自由を静かに手放していった。
かつての外の世界を知らないまま、清潔で、安全な家の中で、
静かに、そして完全に「引きこもる」ようになった。
冷たく、風の吹く外の世界を知らないのは、
彼らにとって少し「可哀そう」なことなのではないか。
そんな感傷にふけるときもある。
けれど、当の猫は、人間のそんな感傷など露ほども気に留める様子はない。
いつだって、相変わらず幸せそうに、温かな場所で丸くなって眠っているだけだ。
猫は、ただそこに“いる”もの。
時代がどう変わろうと、猫は猫として、そこにいる。
じゃあ犬は、いったい何者になったのだろうか――。
かつての「門番」は、今は、人間の最も近くで、その孤独に
そっと寄り添う「家族」へと、その姿を変えたのかもしれない。
呪文
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