秘密の書初め
そのとき、2年A組の教室から微かな音が聞こえてきた。
そっと覗いてみると、そこには狭霧 華蓮 (さぎり かれん)がいた。彼女は一人で机に向かい、集中して筆を走らせている。その真剣な眼差しと力強い筆遣いに、怜花は驚きつつも、静かに声をかけた。
「狭霧さん、こんな時間まで残ってたのね。何をしているの?」
突然の声に、華蓮は驚いて手を止めたが、すぐに冷静な表情を取り戻し、筆を持った手を膝の上でそっと重ねた。
「あ、先生……これは……書初めを練習していただけです。」
「書初め?」
怜花が近づいて机を覗き込むと、大きな半紙に力強い筆跡で書かれた「餅」という一文字が目に入った。
「……『餅』?」
意外な文字に紗季は思わず笑みを浮かべた。普段の華蓮の落ち着いた雰囲気や品のある立ち振る舞いからは、想像もつかない選択だ。
「これ、新年の抱負を込めた書初め?」
怜花の問いに、華蓮は少し頬を赤らめながらも、真剣な表情でうなずいた。
「そうです。今年一年、絵に描いた餅にならぬよう、字に書いた餅にならぬよう、実現できる目標を立てるという意味を込めました。」
その堂々とした説明に、怜花は感心したように頷いた。
「なるほど、深い意味が込められているのね。さすが狭霧さんらしいわ。」
そう言いながらも、怜花はどこか違和感を覚えた。華蓮の表情に、ほんの少し躊躇いの色が浮かんでいるように見えたからだ。
「でも……本当は別の理由なんじゃない?」
そう尋ねると、華蓮は一瞬きょとんとした顔をした後、観念したように小さく笑った。
「……バレてしまいましたか。本当は、お正月に餅を食べすぎてしまって……ちょっと太ってしまったんです。おいしいけど、憎らしい存在なんです。」
その告白に怜花は思わず吹き出しそうになったが、慌てて手で口元を隠した。
「そうだったのね。でも、それを抱負に繋げるなんて発想が面白いわ。」
「まぁ、本当は反省の意味を込めて書いたんです。でも、書いているときは楽しくなってしまって……」
二人の笑い声が教室に響く中、寒い冬の夕暮れも少しだけ温かく感じられた。
翌日、廊下には華蓮の「餅」の書初めが飾られていた。生徒たちの間で「餅」に込められた意味が議論される中、怜花は一人だけ控えめに笑っていた。
呪文
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