横浜マラソン当日に転生した勇者アレス
まばゆい光に包まれ、次に目を開けた時、俺――アレスはアスファルトの上に立っていた。目の前には「横浜マラソン」と書かれた巨大なゲート。周囲を埋め尽くすのは、ゼッケンをつけた無数の人々。
「え、俺、さっきまで魔王と戦ってたはずじゃ……?」
背中には愛用の大剣が……ない。代わりに背負っているのは、見慣れない給水リュックと、やけに身軽なスポーツウェアだ。どうやら俺は、異世界からこの「横浜」とやらに転生してしまったらしい。しかも、いきなりマラソンのスタートラインとは。
右隣では、ゼッケンをつけた若い男が緊張した面持ちで「いよいよだな!」とつぶやいている。左隣では、年配の女性が「完走するぞ!」と意気込んでいる。彼らの顔には、冒険とは違う、しかし確かな熱意が宿っていた。
その時、頭上から大音量のファンファーレが鳴り響いた。
「ランナーの皆さん、いよいよスタートです!」
周囲の歓声が最高潮に達する。スタートラインには、まるで魔物の群れに突撃するかのような、熱狂的なエネルギーが満ちていた。
「くそ、状況は全く分からんが、とりあえず走るしかないのか!」
俺は、これまで幾度となく魔物と対峙してきた経験で培った直感を信じ、他のランナーたちと共に一歩を踏み出した。これが、異世界横浜での俺の、新たな冒険の始まりだった。
戸惑いの序盤、そして気づき
走り出してすぐ、俺は異変に気づいた。身体が異常に軽い。まるで、魔力で強化された時のようだ。いや、それ以上かもしれない。
「もしかして、転生特典ってやつか?」
あっという間に周囲のランナーをごぼう抜きにしていく。しかし、ただ速く走るだけでは、この「マラソン」とやらの意味が分からない。俺は周囲のランナーを観察し始めた。
彼らは、苦しそうに顔を歪めながらも、一歩一歩着実に前へ進んでいた。沿道からは「頑張れー!」という声援が飛び交い、それに応えるように手を振るランナーもいる。魔王討伐の旅では、常に孤独だった俺にとって、この光景は新鮮だった。
「なんでこいつらは、こんなに苦しい思いをしてまで、走り続けるんだ?」
異世界の「力」と、未知の達成感
5km、10kmと距離を重ねるうちに、俺は気づいた。このマラソンは、魔物との戦いとは全く違う種類の「力」を必要とする。それは、肉体の限界に挑み、精神を研ぎ澄ます力。そして、何よりも自分自身との戦いなのだ。
給水所で渡されたスポーツドリンクは、HP回復薬とは違うが、身体に染み渡るように活力を与えてくれた。エイドステーションで提供されるバナナは、魔物の肉とは比べ物にならないほど甘く、疲れた身体にエネルギーをチャージしてくれた。
「これは……冒険だな」
疲労は蓄積していくが、足は止まらない。俺は、これまで経験したことのない高揚感を感じていた。魔物を倒した時の達成感とは違う、もっと内側から湧き上がってくるような感覚だ。
終盤の試練と、仲間との絆
30kmを過ぎたあたりから、身体が鉛のように重くなってきた。足が上がらない。魔王と戦った時でさえ、これほどの疲労は感じなかったかもしれない。
その時、横から声が聞こえた。
「おい、あんた、顔色悪いぞ。大丈夫か?」
振り返ると、序盤で隣にいた若い男が、苦しそうな息遣いをしながらも、心配そうに俺を見ていた。
「ああ、平気だ。これしきのことで、へこたれる俺じゃない」
強がってはみたものの、足はふらついていた。すると、その男が俺の横に並び、ゆっくりとしたペースで併走し始めた。
「俺も足が限界なんだ。でも、あんたが頑張ってるから、俺ももう少し走れる気がする」
「……そうか」
さらに、後ろから追いついてきた年配の女性も、「あと少しよ! ゴールはもうすぐ!」と声をかけてくれた。
これまで一人で戦ってきた俺にとって、これは初めての経験だった。魔物と戦う時、仲間は常に俺の後ろで守られていた。しかし、ここでは皆が、それぞれの戦いをしながらも、互いを励まし合っている。
「これが……この世界の「絆」というやつか」
ゴールラインの先にあるもの
港の見える風景を背に、最後の力を振り絞って足を進める。遠くに見えてきた「ゴール」の文字。歓声がさらに大きくなる。
そして、ついに。
俺は、ゴールラインを駆け抜けた。
その瞬間、身体を包み込んだのは、達成感と、これまで感じたことのない温かい感情だった。魔王を倒した時も、これほどの喜びはなかった。
「おめでとうございます! 完走です!」
メダルを首にかけてもらい、俺は深く息を吐いた。身体はボロボロだが、心は満たされていた。
このマラソンは、俺がこれまで歩んできた人生の全てを肯定してくれるような、そんな体験だった。魔王を倒すことだけが、俺の使命ではなかったのだ。
横浜の風が、心地よく頬を撫でる。
「さて、次はどうするか……」
横浜の街には、まだ見ぬ魔物……いや、未知なる挑戦が、きっと俺を待っているだろう。
俺の新たな冒険は、まだ始まったばかりだ!
呪文
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