5月25日は合衆国憲法の制定会議が始まった日
しかし独立後もその運営は13植民地時代に指名された代議員にそのまま引き継がれており、独立国家としての体裁が整うにつれて明確な国家規約、すなわち最高法規である『憲法』が求められるようになります。
そして1787年5月25日、フィラデルフィアに集まった代議員55名による憲法制定会議が始まりました。
この時の議長として全会一致で選出されたのがジョージ・ワシントンで、必然的に彼はその後アメリカ合衆国の初代大統領として歴史に名を刻むことになります。
新たな議会制度として参考にされたのはローマ共和政時代の政治システムでした。
「上院(Senate)」と「下院(House of Representatives)」の二院制はローマ共和政で言う「元老院(Senate)」と「民会(Comitia / Concilium Plebis)」に相当し、議員定数と選出基準が厳しい上院 = 元老院に重要な案件を審議する権限が与えられています。
そして憲法制定にあたり大きな論点となったのが『奴隷』の扱いでした。
特に問題となったのが議会において議席数を決める人口比率配分の際に、黒人奴隷を人口としてカウントするのかor雇い主の財産として扱い人口には含まないのか、という点でした。
奴隷を人口としてカウントする場合は大規模農場の経営で多数の奴隷を有する南部州が有利になるためです。
結局この時点では『5分の3妥協案』が採用されました。
そして奴隷貿易に関しては廃止を盛り込むべきという意見が多数派でしたが、一部の州が強硬に反発。
結局奴隷制の扱いに関しては時期尚早とされて論議は後回しにされ、憲法の批准が優先される形になりました。
言うまでも無く、この件は後々まで尾を引いて『南北戦争』という最悪の形で噴出することになります。
初代大統領ジョージ・ワシントンは多くの奴隷を所有する農場経営者でもあったためか、その功績に反して『アメリカ合衆国建国の父』としては大っぴらに顕彰できない複雑な国内事情を抱えています。
そのため奴隷制廃止を明言していた後の第3代大統領トーマス・ジェファーソンや、政治家であり外交官であり物理学者でもあった天文学者の『合理主義の体現者』ベンジャミン・フランクリンらが建国の父として持て囃される風潮にあります。
そんな彼らも、先住民のインディアンへの扱いは冷淡でした。
自由と平等の国アメリカは、その始まりから今に至るまで多くの人種問題を抱え続ける国家です。
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