★文豪治さん❶
そのたびに薬に逃げ、嘘をつき、人の情けにすがりながら、薄氷の上を歩くように生きてきたのです。文章を書けば書くほど、私の中の空虚は大きくなり、それでもなお、言葉にすがって、生きたふりをしていたのでした。
東京は連日の雨に濡れ、三鷹にある家の障子の向こう、庭の紫陽花が濃く咲いています。さっちゃんは、黙って机の上の茶を換え、園子は本をギュッと抱いてパタパタと廊下を早歩きしている。彼女たちは、私の沈黙を責めることもなく、ただそこに居てくれる…。奇跡のようなことでした。
今でも両親から見放されたと思っている私は、人を信じることを知らず、人からも信じられず。そんな人間失格の私にも、こうして雨音とともに寄り添ってくれる誰かがいる。それだけで、胸の奥が少し温かくなるのです。
昨日、園子が小さな声で言いました。「お父さんの「おとぎぞうし」、また読んでもいい?」
私は頷きました。お伽草子か…。
それだけのことなのに、目の奥がじんと熱くなった。私の書いたものが、誰かひとりの胸に届いていると?たとえそれが、ささやかで、歪なかたちであったとしても。
その夜、ふと目を覚ますと、隣に寝ていたさっちゃんが、私の手をそっと握っていました。彼女の手は細く、けれど確かなぬくもりを感じるのです。
私はこのぬくもりを、ずっと求めていたのでしょう。
人生には、やり直しという言葉が、どうしても似合わない瞬間があります。けれども、人を思うこと、人に思われることには、始まりも終わりもないのかもしれません。
私は今、ようやくその入口に立っているような気がします。
明日は、晴れるかな…。
お伽草子の続きを書いてみるか。ふふふ。
昭和23年6月。
呪文
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