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年齢的に二浪の大学一回生になったあの姉は前期学期に早くも半分以上の単位を落とし、これにはさすがに両親も不安を募らせた。
なんとも静岡らしいことに茶筒メーカーに勤務している父親は、夏休みに入っても帰駿して来ないあの姉の江戸橋の下宿を、茶葉生産量3位の三重県で開かれた業界向け展示イベントに乗じて訪ねたのだが、土曜午前の突然の訪問にもかかわらずあの姉は在宅中で、室内にロボらしき物体もなく、それどころかあの姉は後期学期での挽回に向けた勉強に励んでいるかのように父親には見えてしまった。実際にはあの姉がネットや机上の書籍で調べていたのは、特撮の効果に使用される火薬についての情報であり、学業とは一切無関係だったのだが、勝手に感心してすっかり気を良くした父親は、またしてもあの姉をサガミへ連れて行くのだった。夏休みに入ってから吉野家ばかりだった生活力の無いあの姉にとってはサガミ程度でも高級レストランである。あの姉はあの姉なりの正装を引っ張り出して着替えるが、そのクローゼットの奥にロボが隠されているという事実に父親が気付くことはなかった。

父親にはもう一つ、今回の三重県入りの中で叶えたいことがあった。かつてはよく一緒にゴルフにも出かけ、娘同士も互いの家に泊まったりするほどの付き合いだった桑名の中井さんへのご挨拶だ。
娘たちが「三重の赤いおじさん」と呼んでいた彼は、自動車整備工場を営む傍ら、3年半前に市議会議員に当選してしまい、以来なかなか遠出もできなくなってご無沙汰していたのだ。

父親の運転する社用車に同乗して約1時間。整備工場のフェンスには、慣れないガッツポーズをした赤いおじさんの全身写真の横に「市議 中井たつる事務所」と書かれた看板が掲げられており、あの姉の記憶の中ではいつもゴルフウェアか作業着かのどちらかだったはずの赤いおじさんが、夏なのにネクタイなんか締めて事務所の中にいた。

そんな赤いおじさんを誘い出してのサガミでの午餐で、赤いおじさんの言動は実に赤いおじさんらしかった。
間違って市議なんてなってまったがよ、地区の勝手な連中の御用聞きも、代議士の末端みたいなことやらされるのも全然性に合わんがや。今日も午前中、どえらいしょうもない会合に行って来たんだがや。途中で市長選にでも打って出て、落ちればこんな役回りからも足洗えると思ったけどよ、足の引っ張り合いで出させてももらえやんかったがや。今年の末で任期が切れるでよ、そこですっぱり引退する気だがや。そうしたらまたお父さんとゴルフも行けるし、模型なんかもやれるでよ。工場のほうは元々、そこらの老人がぶつけたり擦ったりしてくれるで、あれだけやってりゃ食いっ逸れやんがや。歩が今年から専門行ってて工場も継いでくれるって言うで、香奈ちゃんも津からやとちょっと遠いかも知れんけど、たまには遊び来てまた歩と長スパ行ったらええがや。

赤いおじさんが全てを説明し切ってくれると、父親もまた我が娘ことあの姉のここ数年を説明してしまうのだ。
高専は三年で辞めたこと。しばらく萌え萌えのカフェイでバイトをしたこと。二十歳でまた学生に戻ったこと。相変わらず工学系を選んだこと。妹のほうは吹奏楽部でホルンをやっていること。でもあの姉は楽器を何も弾けないことなど。

赤いおじさんはそれを聞いて、「まあ、若い時の寄り道は大したことじゃないがや」とおじさんみたいなことを言い、うどんを一本、ちゅるちゅると控えめに啜るのだった。


このとき赤いおじさんが話した企て。即ち市議なんて性に合わないから一期限りで辞めるという宣言が、その後のあの姉にどれほど影響したことか。
父親が静岡へ帰った翌週、あの姉は火薬類取扱保安責任者などという試験を受けて一発合格し、その後はたまに単発バイトをしてはたまに授業に出席し、江戸橋の下宿ではロボらしいものが出てくる特撮作品を散々鑑賞し、主にスー爆シーンを貪り続けるのだった。

11月に入り、今日は吉野家ではなく学食かなと思って、数週ぶりにうっかり登校した日は学祭の準備日で授業がなかった。
翌日、吉野家よりは安いだろうと思って見に来てみた知らないゼミの出店はどこもぼったくり価格で、憤慨して校舎内の自販機へ向かう途中、綺麗な娘に呼び止められ映研のビラを渡される。
たった数人の観客しか入っていない中教室で上映されていた映研作品は、いかにも非芸大の映研らしい陳腐さで、何を喋っているのかも聞き取れないし、ストーリーがあるのかないのか、あったとしても「で?」でしかないようなものだった。
ただ、余りに鮮明すぎる綺麗な赤が汚ったなく見えるほどの安いご家庭用レベルのCG合成で撃ち合いをしていることは判ったし、その撃ち合いの中にさっきの綺麗な娘がいることがあの姉の症状に刺さってしまった。
人文の一回生こと滋賀県出身の男前姉ちゃんにすっかり絆されたあの姉は、学祭の数日後に映研入りし、自身の学業などそっちのけで、早くも来年の学祭を見据え出してしまうのだ。
そして同じ頃、赤いおじさんはサガミでの宣言通り二期目の出馬をせず、また元の昔の赤いおじさんに戻れたのだった。


結局あの姉は、学祭の夜も相変わらずの吉野家。


(つづく)

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