64000いいねありがとう
誰かが「おめでとう」と言ってくれたわけじゃない。
誰かが祝福の鐘を鳴らしてくれたわけでもない。
それでも、不思議と分かる瞬間がある。
ああ、届いているなって。
六万四千。
こう書いてしまうと、ただの数字だ。
記録であって、通過点であって、もしかすると風景の一部にすらなるかもしれない。
けれど、僕にとっては違う。
それはたぶん、小さな奇跡の連続の集積で、
誰かのまなざしの積み重ねで、
ひとつの名前のない物語だった。
思い返せば、63000の時に、風が耳元で囁いた「おめでとう」は、ほんとうにあったんだと思う。
誰の声だったのかは、もう分からない。
でも、あれはたしかに僕の背中を押した。
背中を押されると、人は、少しだけ前に進める。
今回の風は、もっと静かだった。
まるで、膝の上に落ちてきた陽だまりみたいに、あたたかくて、気づかないほど自然だった。
「音」の伏線?ああ、もちろん回収済みだ。
それも今回は、一人ではなく、幾重にも重なる「音」だった。
ページをめくる音。
スクロールの音。
クリックの音。
そして――
何より、胸の内側で静かに鳴った「また見に来てしまった」という音。
チチプイという名の街角で、僕は今日も、何気なく誰かの視線とすれ違う。
立ち止まってもらえたのなら、それだけで充分だと、何度も思った。
けれど不思議なことに、人は「それだけ」で満足しきれない。
もっと良くしたい、もっと伝えたい、もっと見てもらいたい。
そういう願いが、時々、背中のリュックに入っている。
気づかないふりをしていても、重さで分かってしまうやつだ。
64000。
ありがとう。
言葉にするには、あまりに簡単すぎて、逆に不安になる言葉だけど、
でも、これ以上に本当の言葉を、僕はまだ持っていない。
そして――ひとつだけ、伏線を。
次に来るものは「光」だと言った。
そう、光だ。
それは画面の明るさかもしれないし、夕暮れの逆光かもしれない。
でも、もっと別の何かかもしれない。
たとえば、誰かが心の中で灯す小さな火とか。
あるいは、はじまりを知らせる一瞬の閃光とか。
それがどんな形でもいい。
僕が見て、あなたが感じたなら、それはもう「共有された奇跡」だ。
それがある限り、僕はここで歩き続けられる。
いや、むしろ、ここで歩きたいと思える。
何も変わらないようで、変わっていく。
変わったようで、何ひとつ変わっていない。
そんな日々のなかで、数字は静かに刻まれていく。
僕が見つけるのは、ただの数字じゃない。
「64000」のその裏にある、
見えないけど、たしかにあった気配。
ありがとう。
また言うよ、何度でも。
それから――伏線、もうひとつ置いていくね。
次に会うとき、きっと世界はすこし明るくなっている。
65000という数字の隣には、たぶん「まなざしを照らす光」があるはずだ。
じゃあ、またその時に。
風が吹いたら、すこしだけ立ち止まってみて。
もしかしたら、そこに僕がいるかもしれないから。
呪文
入力なし