自作小説「想霊日和」第十三話『束の間の』
リモコンの除霊ボタンを押した。
エアコンの稼働音が変わり、澄んだ空気が、部屋の嫌な空気を押し出してゆく。
九月といえど、夏の暑さが残る
――いい時代になったものだ。ちょっと前まで誰も信じなかったくせに。
月岡詠士はそう心の中で呟きながらも、科学の叡智に頼らなければ、この夏はとても乗り切れなかった。
大学に入って初めての一人暮らし。
暮らしの細部に、母親の見えない支えがどれほどあったのかを思い知らされる。洗濯物は干し方を間違えると型崩れするし、トイレは座ってするようになった。
しかし、5か月も経てば新鮮さはすっかり薄れていた。
窓枠には掃除を怠ればすぐ埃が溜まり、浴室は水気を切らなければ水垢がしぶとく居座る。押し入れに服を詰め込んだだけではカビが生えることを、つい今日知った。
そんな日常に、非日常がひとつ加わった。
――霊気の発見だ。
霊気には人間の「意志」が宿っており、それが集まると幽霊になるらしい。怨みや殺意が積もれば悪霊になるとか、まだ全貌は解明されていない。
だがこの発見のおかげで、僕が普段見ていたものは嘘ではなかったと証明された。
この重苦しい空気は、霊気が過剰に集まっていたせいだ。
あのとき僕を嘘つき呼ばわりした連中を、もしも強く怨んだら――想霊体が生まれるのだろうか。
そんなくだらないことを考えているうちに、
そろそろ約束の時間だ。
玄関を開けると、外の熱気がまとわりつく。
八月ほどではないが、快適とは言いがたい。
直射日光に耐えながら土手を歩くと、高架下に二つの影が見えた。
ひとつは巨大で、もうひとつは小柄。
川風に冷やされた空気が流れ、心地よい湿り気を帯びている。
「おはようございます、凛さん」
「うぃ、おはよ」
藍田凛の顔には、隠しきれない“自慢”の色が浮かんでいた。
「……ずいぶん大きなクマさんですね」
「ふふん、よくぞ聞いてくれました」
凛は胸を張る。
「前のシロクマさんは渾身の出来だったけど、あいつに壊されちゃったからね。
今回は張り切って“大型化”したのよ!」
トン、と胸を叩く。
「いや、デカすぎませんか……?」
そこには、二メートルを優に超える軍服姿のシロクマが立っていた。
陽を遮るほどの巨体が、詠士に影を落とす。
「ここまでくると、可愛いより怖いが勝ちますね」
「シロクマさん改め――“モフ兵長”よ!」
凛はモフ兵長につながる糸を指にかけ、霊気を流し始める。
モフ兵長がゆっくりと顔を上げる
「じゃ、始めるよ」
詠士も姿勢を正し、右手を軽く払った。
三つのシャボンがふわりと宙に浮かぶ。
「そのシャボン、想霊体にしか効かないんだよ?」
凛が挑発めいた笑みを浮かべる。
「僕だって、いつまでも新人じゃないんですよ」
詠士が手をかざすと、シャボンがぐっと縮み始めた。
空気が圧縮され、光がたわむ。
その中心が青く光り、極限まで圧縮される。
「これはもうシャボン玉じゃありません。“シャボン弾”です」
凛の眉がわずかに動く。
同時に、青い光球がモフ兵長の胸元へ一直線に――
ボンッ!!
爆ぜるような空気の破裂音。
地面が抉れ砂利と一緒に巨体が一瞬宙に浮いた。
凛の目が見開かれる。
だが次の瞬間、彼女の指が指揮者のタクトのように舞う。
糸が唸り、モフ兵長の体が地を蹴った。
「っ!」
詠士の目の前に、白い凶器のような拳が迫る。
咄嗟にシャボンを間に挟む、空気のクッションが衝撃を受け止めた。
グニ、と歪む透明な膜。
それでも攻撃の重さが体にのしかかる。
数発の猛攻をいなすも――
パンッ!
シャボンが霧散した。
勝利を確信した凛の目が輝く。
しかし次の瞬間、彼女は気づいた。
モフ兵長の背後に、小さな青い光が――
ボンッ!!
背中から吹き飛ぶように衝撃が走り、凛と繋がった糸がピンと伸び限界を迎えた。
霊糸が弾け、手元からほどけ落ちた。
「モフ兵長が……」
うつ伏せに倒れた巨体を見て、凛がぽつりと呟く。
詠士が息を整えながら言う。
「ところで、凛さん」
「……なによ」
「このモフ兵長、普段どうやって運ぶつもりですか?」
「……あ」
「リュックには入りませんよね?」
「うるさいわね!!」
高架下に詠士の笑い声が響いた。
凛の頬がほんのり赤くなる。
――いつかまた、新たな敵に立ち向かうその日のために。
モフ兵長は、静かにその場に横たわっていた。
土手を吹き抜ける風が、汗ばんだ肌をやさしく乾かしてゆく。
日も傾きはじめた帰り道。モフ兵長は、どすん、どすんと地響きを立てながら、二人の後ろをついてくる。
「……なんか、哀愁ありますね」
詠士がぽつりと呟いた。
「うん……帰る場所のない熊って感じ」
凛が鼻をすすりながら、その巨体を見上げる。軍帽を被った白いぬいぐるみ。歩くたび、わずかに体を左右に揺らすその姿が、なぜか物悲しい。
「所長に相談してみましょうよ」
「そだね……ていうか、これ、事務所入るかな」
「……入りませんね、たぶん」
会話に応じることもなく、モフ兵長はただ黙って後ろを歩く。哀愁を纏ったまま、帰る場所を探すように。
* * *
想霊相談所の入った古いビル。夕暮れの光が斜めに射し、ビルの壁に長く影を落としていた。
モフ兵長は、ビルの前にでんと座り込んでいた。
壁にもたれ、頭を傾けた姿が、どこかしょんぼりして見える。ぬいぐるみとは思えぬ質量感と存在感。毛並みは少しへたり、風に揺れている。
「所長、何か……いい方法ありませんか?」
凛が困り顔で口を開く。
「そんな都合のいいもの、あるわけないでしょう。これを運ぶだけでも骨が折れますよ」
神崎が眉間にしわを寄せる。
「くそっ……いったいどうすれば……」
「……一度、分解して運ぶという方法もありますが」
冷たく現実的な提案に、凛の顔が歪む。
「そんな可哀想なことできるかッ……!」
「……」
誰もが口を閉ざす。
夕陽だけが、三人と一体を照らしていた。
「……看板でも持たせておけば、集客効果あるかもしれないですね」
詠士がぽつりと呟く。何の気なしに発したその一言に、凛の目が光る。
「……え、マジで?」
「案外目立ちますよ。SNSとかでバズるかもしれませんね」
「それ、めっちゃいいじゃん! 採用!」
その日のうちに、古い板に墨で文字が書かれた。
《想霊相談所》
《幽霊・怪異・霊気のご相談承ります》
モフ兵長は、ビルの前にでんと座り、その看板を抱えることになった。
通行人が一人、また一人と足を止める。
「……なにあれ」
「かわいい。写真撮っていいかな」
それを見ていた凛は得意げに腕を組んだ。
「ほら、もう効果出てるじゃん」
「ただの見世物になってません?」
「細かいこと言わない」
詠士は苦笑しながら、モフ兵長を見上げた。
帰る場所のない熊は、ひとまず相談所の看板熊になった。
夕暮れの街に、少しだけ笑い声が混じる。
――束の間の平穏。
それでも今は、この時間がありがたかった。
大霊災まで、あと六ヶ月。
スペシャルサンクス
とんとんとん様
https://www.chichi-pui.com/users/user_T88yuXxCZn/
昔に趣味で書いていた小説をアップさせていただきました。
完結はしていませんので続くを書いていきたいと思っています。
日曜日と木曜日の23時に投稿できたらいいなって思っています。
コレクションはこちら
https://www.chichi-pui.com/users/user_wwp7GEIwMb/collections/997693aa-a312-4f55-81e7-19e6d840fb41/
呪文
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