多分関わったらヤバいやつ?
人ってのは、本当にヤバいと思ったら動かなくなるもんだな。
そのとき俺は、まさにその「動けない」状態だった。
眼前に立つそいつは、一言も発さず、ただそこにいた。荒野の真ん中、見渡す限り何もない乾いた大地の上で。太陽は容赦なく照りつけ、空気は焼けるように熱い。なのに、目の前の男──いや、“存在”は、まったく動じる気配を見せなかった。
鎧兜をまとっている。
……しかもカーボン素材だ。構造色が虹のように揺らめき、風にたなびくでもなくただ“沈黙”していた。無駄に未来的で、無駄に重厚。そんな無駄が、ひとつ残らず威圧感に変わっている。
言っておくが、俺はそれなりに修羅場をくぐってきたつもりだ。傭兵時代、地下都市の掃討戦、上層圏の企業私兵との交戦──だが今、呼吸すら浅くなる。
なぜなら──
「……筋量ヤバすぎんだろ、おい」
思わず出た言葉に、そいつは反応しない。というか、感情すら読み取れない。顔全体を覆う能面──黒光りする炭素繊維でできた“神面”が、全てを遮っていた。
不気味なのに、神々しい。
異様なのに、美しい。
どう見ても現代の技術じゃない。人間の設計思想を越えてる。肩幅、胸郭、腕の太さ、そして大腿部。鎧越しでも分かるレベルじゃない。まるで生身そのものが“鎧”のようだ。
俺の右腰にはサイドアームがある。左には短剣。どちらにも手を伸ばせる位置だが──駄目だ。引いた瞬間、間違いなく殺られる。分かる。これは「目が合ったら最後」のタイプだ。
だが、そいつは斬らない。撃たない。叫ばない。
ただ、立っている。
……いや、そうじゃない。気づいた。違う、これは「待っている」のだ。俺が動くのを。
試されている?
いや、違う……そうじゃない。
「──“入ってた”のか、俺……」
言葉にして気づく。
気づいた瞬間、背筋が凍る。
間合いに、入っていた。
俺が気づいたときには、すでに遅かったんだ。
◇
時が止まったようだった。
風も止み、蝉の声さえ遠のいた。まるで世界が、そいつの登場に合わせて演出を整えたように、完璧だった。
何もしていないのに。
ただ立っているだけで。
殺気も気配も出していないのに、俺は足が動かない。
そんな存在が、本当にいるんだって──今、知った。
「……俺は、まだ生きてるか?」
独り言のようにそう呟くと、風が動いた。
一陣の風が、そいつの背後に砂塵を巻き上げていく。
そしてその瞬間、低く、地を這うような声が届いた。
「……迷った。」
え?
「ビビらせてごめんね。」
振り返る間もなく、そいつの姿はかき消えていた。
そこに残されたのは、砂に刻まれた2つの足跡だけ。
俺の正面、一歩前──
確かに、間合いの中だった。
― 完 ―
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