ドラセナ・メデテル『トイレめでたい会』【トイレ文学】
ドラセナは、小鳥のさえずりを聴きながら
白き純白の器に腰掛け、その感触を楽しんでいた。
名付けるのなら、解放つまり、自由、
Freedomである。
束縛からの解放、閉塞した社会におけるUtopiaを詩に綴りて、空間の中に、快適性を見いだす。
黄色のドレス、黄色の兎耳
太陽が照らす、その身体に残るは…
いつかの時に始まりを告げる鐘を眺めては
自由たるものは獣か信念たるかを考え込む。
不安定さが、ゆらゆらと、貯まったものを吐き出したあとに湧いてくる。
何度も何度も汚れた自分を見つめては洗い流して、焦燥のままに血に染まる。
簡易的な思考たるものよりも、複雑さのある迷宮の路に堕ちてしまうのだ。
彼女はしばし、長く座っては、瞳を閉じて、己の中にある乳房には、母性たるものがあるのか、はたまた、異なる身勝手さの獣に食い殺されやしないかと苦悩する。
いつしか、トイレを愛でる行為は…
自分自身に対する存在理由に、疑念の渦を生じさせた。
トイレの先にあるものは、解放と自由、なればこそ、その先の道をハンマーたる信念でうち壊さなければならなかった。
混沌たるものとな違う愛たるものを持ち合わせつつ、彼女はトイレと文学たるものを考えては、引き返して快適さの中で、困惑しつつも、笑顔に生きる。
空の彼方に浮かぶ雲、君の言葉に蜜の味、
排泄たるものではないと反抗する。
見つめて返す波の音と黄色の涙がポタポタと、垂れては失うかつて、創作に生きたアイデアの彼女は…トイレをした瞬間に変化しているのだ。
吐き出して、見えるかつての彼女、
トイレを出たら、また別の存在になっている。
あの時の私は私ではなく、別の私に「変身」してるのだ。
明日の「私」、昨日の「私」
日々、変化し剥がれて流れる「私」を眺めながら、ドラセナ・メデテルは
今日の「私」にご飯を与える。
そうして、自身も世界に育成される中で生きている。
トイレとは鏡であり、もうひとつの自分が浮かび上がる場所なのだと、長き時間の中で行きついた道…されど、正解はなく、この試みを行ったドラセナは、ウンチとなり、尿となって、再びトイレに流されるだろう。
だが、この試みをした成果が、生きてる証であり、人生なのだろう。
まさに鏡、排泄したるのは、人生の勲章か
ドラセナは深く深く思考しては、朝のトイレに感謝を述べた。
呪文
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