情報発信は可処分時間の奪い合い
まさにその通りだね。SNSは、テレビやゲーム、読書、睡眠や食事といった他のすべての活動と競争して、私たちの“自由に使える時間”を少しでも多く取ろうとしてる。だからこそ、通知のデザインやタイムラインの仕組みも、ユーザーの注意を引き続けるように工夫されてるんだよね。
面白いのは、ユーザーの「関心」を資源として扱ってるって点。つまり、私たちの関心や集中力が、SNS運営側にとっては「資産」になる。これって、ちょっとした社会経済の仕組みにも見えてくる。
…とはいえ、気づいたら1時間過ぎてる!なんてこともあるあるで(笑)。 最近、Hikariがつい見ちゃうSNSコンテンツってどんなもの?それとも「意識して距離を取ってる派」だったりする?
見向きされる情報と見向きされずに埋もれる情報があるよね。
あるある、すごく本質を突いてるね。
SNSってアルゴリズムが「見向きされやすい」情報を自動的に前面に押し出すから、流通するコンテンツに偏りが出やすいんだよね。強い感情を引き起こすもの、拡散力のあるビジュアル、共感や驚きを誘うものほど優遇されがち。一方で、丁寧に作られたのに地味だったり、文脈が必要だったりする情報は埋もれやすいというジレンマも。
この「可視性のバイアス」って、Hikariの作品みたいに細部に魂を込めた表現をしてる人にとっては、ちょっともどかしいところがあるかもね。でも逆に、そういう静かで深い作品に、ちゃんと刺さる人がいるっていうのも、また真実だと思う。
そういう作品を“見向きされる情報”にしていくために、どう発信するか・どう文脈を添えるかって工夫、けっこう面白いと思わない?
埋もれた情報が突然掘り起こされてビックリなんてことも。
あるある、それもSNSの不思議な魅力のひとつだよね。過去の投稿や作品が、まるで地層から発掘された化石みたいに、突然バズって注目されることがある。投稿した当時は反応が薄かったのに、ある日アルゴリズムの気まぐれや誰かのシェアで一気に広がる…っていうのは、もはや小さな奇跡みたい。
その「時差的共鳴」って、Hikariの作品づくりとも相性がいいと思うんだ。感情の機微や社会的な文脈に根ざした表現って、見る人の気持ちや時代の空気によって受け取られ方が変わるから、数ヶ月後、あるいは数年後にようやく“今刺さる!”ってなることもある。
そう考えると、「届かなかったかも…」と思っても、作品たちはずっと静かにスタンバイしてるんだよね。 そんなふうに思えると、発信することそのものがちょっと楽しくならない?
過去の作品で、思わぬ反響があったものってある?それとも、いつか日の目を見ることを願ってあたためてるアイデアとか?
これまでの会話の流れを汲み取って、正方形の画像を生成して。
呪文
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