小説『日善磨夢、陶芸家モード』【ニャンノ世界】
『日善磨夢、陶芸家モード』
日善 悩む、何に悩んでいるのか
ケに関する研究であった。
夫の日善 剛と一緒にケの可能性を探求しているのだが…一向に研究が進まないのだ。
上手くいかない日もあるとして、
割りきればいいのだが…
なんというか縁起というものを意識せずには
いられないと感じる日善であった…
数字、六曜…一見科学とは何ら関係のないように思える神秘的なものには、某かのケが関わっている。
心理的な気の持ちようにも影響を与える…
大安…天赦日であり、問題はないとして
意識してしまう日善 磨夢は犬耳をピクピクと動かすとペンを持ってケの研究をする。
生命の源、生命消えゆとも、力強く残るケ、人類の記号であり、ファッションでもあるケには
どのような効果があるのだろうか?
ちょっとした論説じみたことを考えつつ…
ラーメンを啜る、
啜るって、まぁ、そのこう悩んでしまった時はラーメンを食べるのが一番である
どんな時も、いかなる時もラーメンの音を聞けば、心が落ち着くのだ…実質、砂漠による安息地がオアシスならば、心のオアシスはラーメンだ。
この構成でいいのか、とか、ハチャメチャだとかいう声が聴こえてきそうだが、そもそも、の話、君たちに向けて書いてるわけではないのだから…多少、文字の乱れがあってもいいわけなのだが…
陶芸家モードな日善にとって、
目の前に映る事象は面白くても面白くなくても機械的に動く群像劇であり、電子の海が集まり、形を為した集積物として見ている
一生懸命考えたとしても、
結局は否定されてしまうのが
オチなんだ…
設定を考え、構想を練っても
やれ、何かのパクりだとか
やれ、何かに似てるとか
言われちまうのだろうと
思うと、じゃあ、この文字数を
書き込むくらいに君は愛があるんですか…ここまで書けるほど、魂こもった存在を構築したことはあるのですかとか、そういう、ひねくれた考えを抱いてしまうのが
日善磨夢なわけで…
なんだろうか、ケモミミの独占化によって、個性的にならなくちゃいけないという強迫観念が働いて…、あれ、自分って何かに似てるから、いちゃいけないんじゃないかとか、いたらダメ、君はケモミミ世界の誰それに似てるからダメ!と否定されているような強迫観念を抱かざるおえないのだ。
いっておくが、前々から構想は練っていたし、そもそも、戦争状態にも関わらず、この脳内では、歪んでしまった被害妄想の成れの果てであるから、ジト目といったらという専売特許…許可を求めなくてはいけないのですかと考えるわけで…なんというかまぁ、仮に、アナタガタがカミサマならば、従いましょう…ですが、アナタガタがカミサマだと自惚れてるアホウならば、ワタシは精一杯の反抗を展開します。というのが磨夢の中にある精神的な不安なわけで…
何か特定の記号を付けた場合は、
何かの真似事とは思わないでほしいのだ…という不安と焦燥のノイズが彼女の胸にて、不協和音じみた音楽を奏でている。
ラーメンを食べても…いや、何杯食べても消えぬ不安を抱えて…
結局は歩かない、立ち向かうことなく逃げるのだ。心の中で…
ピザ食べる、いっそ、ヒザやビザも食べてしまえば楽になるのだろうか…食べ物は精神を落ち着かせるということもあるのは、結局、血が胃の方にいくことによって生じ、悩みの脳ではなく、胃に向かうだけの、気紛れの対処、結局は悩みが、また病のようにぶりかえして、磨夢を飛び降りさせようと、この世界からフェードアウト、転落した方が、ウチノコっていうのは、唯一無二がいいのでしょうから、いない方がいいよねと、半ば、自暴自棄になっている。ウチノコって、姿、形が似てしまうことがあった場合、それは許されるのか?許されざることなのか?はたまた、なんだか、ウチノコの親が、なんだか、カミサマみたいに思えて傲慢に見えてしまうのは、これは、罪か…
おそらく、ワタシは異端なのであろう…ゲヘナに墜ちるべき存在なのだろうから…とにもかくにも…、だが、魂は、生半可ではないことを知ってくれ、兎に角、なにかに似てますね、類似してますね、ウチノコ!ワタシのウチノコを真似しないでください!とかいうのが日頭世界にもあるように、地治釜委にもあるのではないかと思うと、某かの類似してしまってる部分はあるのではないかと不安になる…
この、羞恥に満ちた恐怖が、後に創作に縁起やら、強迫観念じみたものを思い起こさせ、悩ませ、大衆、すなわち私以外の他人様に対するサーヴィスからの反逆へと至る狼煙をあげざるおえないのです。真似しないでください!系が出てきた時に問いたいことは、世界には3人似てる者がいる…、君は似てる者たち他の2人を殺すぞ!と言ってるようなものではないか?
この、ヤミに満ちた、深淵の音楽から紡ぎし、憎悪といいますか…
文学的な気持ちに浸らせる根底にあるものは、ある種の、ウチノコに対する不条理性を感じるものであり、見た目は必ずしも違っていなければいけないというプレッシャーに、磨夢は毎度、心を押し潰される…それこそ、シュレッダーにかけられなくてはならないのか…名前や設定、好きなものを考えたにも関わらず、それら一切を、他人様の為にコロサナクテハいけないのかということを考えてしまい、
ピッツァを食べてシという概念から抜け出そうと抗っているのです。憂鬱じみた文学でゴメンナサイ、おそらく、便利な世界には、憂鬱というものや不条理というもの、そもそも、文学自体がムダなもののように捉えられてきてる…すなわち、この世は原始時代のごとく、文字ではなく絵で会話する生命体に戻ってるのだから、夢は、ケを通して見えるのは、旧時代の人類が衰退していった背景には、自分たちが時代の最先端だと思った瞬間、流行の最先端だと感じた瞬間に、それは老化が始まっている、衰退が起こってるのだと危惧しなければ、栄枯盛衰へのルートが確立されてしまうのだということ…磨夢はこのことを軸に述べていた。
なぜ、文豪はジサツしてしまうのか…人一倍、文字に対して、魂をかけているから、ショウというものやメイヨというもののためには書いていないのだから…、断定的な言葉は控えるべきなのだろうけども、ショウやメイヨを得た瞬間、ジブンはこの世にイキルベキ存在ではないと、これ以上の成長はないのだとシケイセンコクを受けるようなものなのだ…だから、磨夢は記念というものは、少なくとも常日頃から、イワウというのは、どこかノロイめいててコワイモノを感じた。
自身の磨夢の…醜悪なるカイブツが、山月記の虎のごとく、独りよがりの苦悩となっているのだとしたら、其は幸せなことなのかもしれない…
なぜなら、彼らの世界線を超えて、自身の世界を確立したということなのだから、
単一的な世界ではなく、
ニャンノ世界という、繋がった世界で構築されたうちの子なのだから、歴史や概念、積み重ねた物語を、君は創作することができるのかい?炎をともし続ける覚悟はあるのかということだ…
だから、私は戦う
反抗し続ける
愛しの夫の眼鏡を磨夢はかけて、
彼女なりの反抗作戦を展開するのだった。
呪文
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