『文豪は考える』斜葉いすゞ 【反抗文学】
https://suno.com/song/e1c21753-9268-4b1d-b49b-85ab90b28851
時の流れたるものは、砂時計の如く
一瞬でサラサラと流れていっては、
消えゆく儚い命のようなものだと感じています。
私の場合は、当然、文字を綴ることで、存在に対する疑念なるものを持ち合わせていまして、ことこの奇妙な空間に対して思うことが、途切れることなく、湧き出てくるわけです。
この思想追求に対して、頭の中を見てみたいという人がいらっしゃって、もちろん、断りました。何せ、脳内をひけらかすということは、自己の存在が消失してしまうのかもしれませんからね。
もし、脳内に部屋があったりしたら、そうした質問をした人はさながら、強盗の才能がおありなのではないかと思うわけです。
ゆえに、鍵なるものがあるのは…自己の存在、乃ち、個性を守るために扉をかけてることは、以前の私が申しました通りで、こと、ここにかけての、思いもよらぬ無知なる者による攻撃というものは、敏感で硝子のごとき私の心を壊すのです。
さながら、弱虫な私という存在は、どうにも小さな頃からの病なもので、この鬱屈さを退屈しのぎに書きはじめたのが、私が文学というものを始めるきっかけだったように思います。
本棚の中には、数多の先人たちの物語が眠っており、中には寝る間も惜しんで、心理を追求し続けたものまであって、消失してしまったことが何度もあったりと、本というものは、物体なれど、生き物のように、蠢くことがあって、ほんとに困ったものです。
困ったものといえば、此処、最近は、話題に沿った作品への興味、関心が薄れてしまいました。自ら開いた個展的なものに対しても、出不精なために、億劫になってしまいました。それに加えて、人との言葉の交わりですら、面倒に思えてきて、この世界に来て、作品を見るときは日銭稼ぎのために、見るという作業になってしまいました。
本来は言葉を述べなくてはいけなかったのかもしれないですが、創作に時間をかけたいのです。心の中では感謝というものを持ち合わせつつ、見るという道化的なものとの対決でした。
本当はどうなのか、心の中の怪物が問いかけると…私にとっては、どうでもいいという、投げやりな黒いモヤモヤが存在していて、それが時おり牙を向くことがあって怖いのです。
もしかしたら、恐いと感じる創作物には、
そうした黒いモヤモヤがいて、私とは別の何かに操られているのではないかと、非科学的なオカルトまがいな考えも浮かぶわけです。
ジキルとハイド、本来の自分はどちらでしょうか。変身、私は虫なのか、はたまた人間なのかわからなくなってしまいました。
人間失格、廃人になって狂人になったのを見せられるのなら、なんて幸せなことだろうか。
ですが、人というものは、常人たれと、常人こそが百点だと、無言の圧を感じます。
マナーを守りなさい…貴方の存在はこうであるから、こうあるべき…だとか、
人間は常に、私を含めて…見えない何かに囚われてるのだと考えるわけです。
この存在に対して、貴方の役割は、こうです、これ以外の存在になることを、神は認めなかったと…、太陽が照らすのは、
そうした忠実なるもの、反映をもたらす者が、表舞台を歩けるのだと、言葉にせずとも、空気が物語ってるのです。
私という存在は、その逆で、表舞台に立ってはいけない、貴方は目立ってはいけない、影であるべき、でしゃばるな、貴方の存在は神が認めてはいない、地獄に行きなさい、地底へと深く、暗い場所で過ごしなさいと言われてるかのようで…
否定の文学…、飢えと涙が心に逡巡しているのです。さながら、グレゴールのように、こと此処に至っては虫になった気分です。されど、この気分は、私にとっては、心地よく、むしろ、自由になれたのだと感じるわけです。
理解してもらえなくてもいい、称賛は浴びなくていい、誰にも共感されない話ができたとしても、大衆に反抗した小説は、いつか、誰かの心に響くのかもしれない…いや、誰かのというより、それは自分のため、自分に似た何かに問いかけてるのかと、不安定な名称『何か』にしましょう、私はこの『何か』と対峙しながら語りかけている。
それは、今に対して問いかけてるわけではなく、未来、その先に対しての存在に、
語りかけている。
歴史が、過去との対話なら
文学は、未来との対話
たりえるのではないか?
足りることはないかもしれないが、
そのような存在になれたなら、
きっと、書くのが止まらなくなる。
現代人が好きなジャンクフード、
ポテトである。
このポテトたるものを文豪たちは
魅せられ、噛み咀嚼して、
生まれでたものを言葉の中で吐き出す。
なんども、食べては吐き出して、
自分の醜悪さや汚れを忘れて
創作に没頭する。
気づけば、人間ではなくなっていて、
私というものが、怪物になっても、
人から恐れられる存在になっても、
掴みたいものが、『何か』にはあるわけです。
貴方は驚いてるのかもしれません。
この文字の文量に驚く限りは表面でしか見えてない…中身を見ていた場合は違う。
この、考えに巡り合わせる何かが、小説であり、物語たるもので…
会話劇で終わってはならないのだと…
会話の奥には心情があって、
その心を描写しなければ物語ではないではないか?
斜葉いすゞは、腕を組み酒を飲んだり、頭をくしゃくしゃさせて、紙面と向き合い、浮かばぬ、脳に絶望して、外を出る。
太陽が沈みゆく中で、自分の手が
『何か』に変わってることに気づく
それが、私の手ではないことは確かだ。
では、元の手は何処へ行ったのか、
探しに行こうにもどうにもならず、
斜葉いすゞは海岸を歩いて、
いっそ、飛び降りてしまおうかしら…
とも考えるが…
死にたいと考えはするものの、
文豪とは異なり、覚悟がない、
死ぬ勇気がなかった。
自分を傷つける覚悟がないためか、
ナイフでリストカットはできないし、
焼身自殺もできない…
この世の中に逃げたいと思いつつも、
彼女は、そうした思いに対して、
文字で綴ることでしか、存在を立証できなかった。
死ねないからこそ、創作するのか?
死を希求するからこそ、
文学たりえるのか?
いすゞは寄せてはひいていく波が、
どこか、死の狭間に揺れる心を映し出してるように見えたのだ。
『私』という顔は『人間』だろうか
『文豪』という顔は『人間』だろうか
確かに科学的に考えたら『人間』である、
されど、精神的なこと、深淵から覗けば、私たちの顔は果たして『人間』なのだろうか…はたまた、「虫」か「怪物」か、
言葉を話せども、私たちは「獣」であり、
事件が起きるということは、虎や熊といった存在となんら変わりないではなかろうか。
私が書くのは、自分の状態を確認するために書いてる節がある。
これを止めるべき道理はなく、この思いに対して、なんら共感しろとは言わない。
貴方は貴方であり、私は私だから…
宗教じみたことも嫌いであった。
この宗教というものは、人を時として獣にさせる、理性という名前の獣にさせる危険な存在だった。
宗教が正義だと信じるしかなかった中世において、疑うということは革命だったのかもしれない。疑えば異端、さながら、私は異端者であって、前世は火刑に処されていたのかもしれない。それでも、信じるものがあるからこそ、己の中にあるものを大切にする、宗教より大事なものを抱えて、血反吐を吐いてできた土地で、私は生きている。
食べ物や、あらゆる物体に先人たちの努力が眠っている。書いていなくちゃ気づけなかったことだ。書くという、この試みは地味で退屈かもしれないし、ため息をつかせる作業だろう。
だが、書いてる本人が楽しかったら、それは小説としていいんじゃないか。
明るい光が、夜になれども、月の光とは別個のあたたかなものが、私を覆った。
それが、何かを説明するには、あまりにも人類は若い存在だった。
便利な物は、人間の営みを忘れさせる。
斜葉いすゞは、憂いながら、
言葉を紡いだ先にも無限の道筋があることを見て、栞を閉じた。
明日の冒険は、一体どんな物語が待ってるのかと、数多の文豪に思いを馳せながら
物語を閉じて、おにぎりを食す。
「文字を綴る先に道がある」
と呟いて、米を口に含ませながら、概念を何度も何度も噛んでいった。
(猫メモ)
『文豪は考える』企画を開催しようかと思いまして、その為に、物語を綴り、音楽を生成させました。出来た時の時間が見られるのは…恥ずかしい限りですね。
ですが、カフカの如く、一晩で書き上げる作品のようにはなったのかなと思います。
自身の生命を削るためには、こうした、深夜にこそあるのだと感じる次第で…
朝に書いてたら、私は、日常というものに殺されてたのかもしれません。
家庭を持ち合わせてしまったら、こうした、ことすらも出来なくなるのではと思うと不安なのは、カフカも抱いていたことで…、文字を書き綴ることで実感しますね。書くことを奪われてしまったら、私の場合は、呼吸できない状態と同じなのです。だからこそ、キャプションに物語を書くことで空気を吸って吐いてを繰り返して活動を続けてるのかもしれませんね。
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